ドラッケンミラー氏: 量的緩和が深刻なデフレの原因となる

ジョージ・ソロス氏のクォンタム・ファンドを率い、1992年のポンド危機でポンド空売りを行い成功したことで有名なスタンレー・ドラッケンミラー氏が、アレキサンダー・ハミルトン賞の授賞式でスピーチ(原文英語)をしている。今回は量的緩和について語った部分を紹介したい。

量的緩和と自由主義経済

2008年のサブプライムローン危機後、先進国の中央銀行はこぞって量的緩和を開始した。その後アメリカは量的緩和を停止し、それを逆回転させる量的引き締めを開始したが、ECB(欧州中央銀行)と日本銀行は量的緩和を続けている。

前回の記事では、ドラッケンミラー氏は中国共産党が経済全体の方向性を決め、どの予算が何処に投資されるべきかを恣意的に決定する計画経済を痛烈に批判していた。

そして今回は量的緩和である。しかし、ドラッケンミラー氏の量的緩和批判は、物価が高騰しコントロール出来なくなるというありふれた論理ではない。むしろ逆であり、量的緩和がデフレの原因となるというものである。彼は次のように語る。

一般に量的緩和と呼ばれる中央銀行による債券買い入れは、今やFedの伝統的な金融政策となっている。以前は大恐慌や金融危機でもなければ使われなかった政策が、今では少しでも景気後退の兆候さえあれば普通に使われるものとなっている。

われわれのなかで十分に年寄りな者は、価格統制というものの危険性を実際に目にしてきた。市場で価格を恣意的にコントロールすれば、ものが不足したり、資源が無駄遣いされたり、消費者が本当に求めるものに投資がされなくなってしまう。

論点は、量的緩和によって中央銀行が国債の価格を(つまりは国債の金利を)恣意的に決定しているという点である。

金利というものは、国債であれば国、社債であれば会社の信用の度合いに応じて、市場がリスクを判断し、破綻しにくい経済活動には低金利を、破綻寸前の経済活動には高金利を割り振るシステムである。

しかし中央銀行が金利を決める世界では、将来の見込みがある経済活動にも見込みがない経済活動にも等しくリソースが投資されてしまう。ドラッケンミラー氏はこの無駄こそがデフレと経済停滞の原因になると言っているのである。

政治家が量的緩和を推進する理由

そもそも政府は何故これほどに量的緩和に拘っているのか? 今現在、先進国はどの国の経済も金融危機とは程遠い状態である。ドラッケンミラー氏は次のように言う。

この過激な金融政策に対する言い訳として使われてきたものは、2.0%のインフレターゲットへの妄執である。これが小数点以下まで丁重に守られていることが事態が馬鹿げている証拠である。

しかし何故インフレは2%でなければならないのだろうか? 思い出したいのは、日本の政治家である麻生太郎氏が財政ファイナンスの言い訳にデフレを使っていたことである。麻生氏は次のように発言している。

誰もお金を借りようとしない。少なくとも預金する人は多いけれども借りる人がいなけりゃ銀行はみんな潰れちゃうんですよ。年間約30兆くらい借りてくれる人が足りない。約30兆。年によって違うけど。誰かがそれを借りてくれない限りは30兆分だけデフレになりますから。それを借りてくれてるのが政府。

しかしそもそも何故デフレが問題なのか? デフレとはものが余っている状態であり、インフレとはものが足りない状態である。ものが余っているから価格が下がり(デフレ)、足りないから価格が上がる(インフレ)のである。

経済にとっては、ものが溢れている方が良いのは明らかである。にもかかわらず、あるいはだからこそ、政治家と企業はデフレを嫌い、インフレを求めている。ものが足りない方が売り手にとっては有利だからである。しかし買い手、つまり消費者にとってどちらが良いかは明らかである。

確かに、企業が儲からなければ賃金が上がらないという議論はあるだろう。しかしデフレで困る企業とは、消費者の求めるものを作っていない企業であり、そうした企業は実質的に税金から出ている量的緩和や公共政策という補助金で甘やかされるべきなのではなく、考えを改めて別のものを作るべきなのではないか? インフレ政策とは政治家と落ちこぼれ企業の癒着ではないのか?

ドラッケンミラー氏が疑問視しているのはまさにそこである。そもそも2%という数字には一切根拠がない。それが自然に実現可能なものなのかどうかも不明である。ドラッケンミラー氏はデータを示してそれを論証する。

しかし、皮肉なのはここ700年の平均インフレ率は1%に届くかどうかであり、金利の平均も6%より低いということである。つまり、インフレ率が歴史的平均値であるにもかかわらず、中央銀行はこの未曾有の超金融緩和を行なっているということだ。

さらに言えば、ここ100年で深刻なデフレは3回起こったが、そのどれもがインフレ率がゼロに近すぎたから起こったのではなく、資産バブルが崩壊したことによって起こっている。

ここからがドラッケンミラー氏の皮肉が利いている部分である。

だから、もし深刻なデフレを意図的に引き起こそうと思えば、これまで中央銀行がやってきたことをそのまま行えば良いのである。緩和によって行われた間違った投資のことを思うと身震いがする。

一体どれだけのゾンビ企業が緩和マネーによって延命され続けているのか、実際のところは誰にも分かったものではない。あらゆる個人が永遠に上昇すると思われている資産価格にとめどない量の資金を注ぎ込んでいる。個人だけではなく、政府も同じである。金融政策が既に正常化されていたならば、これほどの財政赤字は生まれていなかっただろう。

消費者の求めるものを作ることの出来ない企業と、政府の公共政策が、中銀の債券買い入れ残高と政府債務を積み上げながら、消費者が本当に求めるものではないものを量産している。そしてその政治的頂点には財務省やOECD、EUなどの官僚組織の利権が成立している。

これは要するに共産主義経済なのである。同じスピーチでドラッケンミラー氏が中国経済と量的緩和の両方を批判していることが納得できるだろう。

ドラッケンミラー氏は主にアメリカについて語ったが、量的緩和と財政出動、法人減税と消費増税という日本の経済政策の組み合わせも、日本経済の将来を考えて行われているものではなく、財務省と経団連の都合によって生み出されたものである。少し古いが以下の記事に書いている。

日本のみならず、世界中でこうした利権が山積しているのである。EUにNoを突きつけたBrexitや、ヒラリー・クリントン氏とその協賛企業連合にNoを突きつけたトランプ氏の勝利は、そうした流れを汲んでいる。そうした潮流が実際に何処まで結果をもたらすかは別の問題だが、日本人以外の国民はそうした利権に気づいているのである。

そろそろ日本人もおかしいものにNoを突きつける時期ではないか。消費税や保険料まで含めた日本の実質税率は異常だが、政府がいつ国民のためにそれほどの仕事をしたのだろうか? 日本居住者で特に企業勤めの読者は、保険を含め企業が自分を雇用するために支払うお金のうち、消費税まで含めると実際の手取りが何パーセントになっているのかを一度考えてみると良い。

ドラッケンミラー氏は次のようにスピーチを締めくくった。

本日の聴衆のなかには、ペンの力をお持ちの方がたくさんいる。そして財布の力をお持ちの方もいくらかいらっしゃる。

今夜わたしが語った考察を共有して下さる方がいれば、是非この国のよりよい道について人々に語って欲しい。

日本国民が重税を課されていることを除けば、経済全体としてはこれまでは確かにそれほど付けを払わずにここまで来たかもしれない。しかし税に加えて量的緩和と公共政策の付けを払う日は確実に近づいている。

いい加減、初めから分かりきっている危機に事後になってようやく対処し始めるのを止めるべきではないか。日本人は政治家と企業の癒着に甘すぎるのである。