トランプ政権は選挙中の公約通り、オバマ前大統領の始めた国民皆保険制度のオバマケアを廃止し、新たな制度を作る法案を提案して議会を通そうとしていたのは報じていた通りだが、結局トランプ大統領は身内であるはずの共和党議員の説得に失敗し、採決にも至らず法案を取り下げた。
これが投資家にとって何を意味するかである。著名債券投資家のガントラック氏は、このオバマケア代替法案はトランプ政権の公約のなかでもっとも議会を通りやすいものなので、この法案さえ通らなければ減税やインフラ投資なども議会を通らない懸念が生まれると主張し、これまでそうした政策を期待して上昇してきた米国株にとって大きなマイナスだと指摘した。
この記事でも説明したように、明らかな欠陥のあるこのオバマケアだが、トランプ政権はこれを廃止することを諦めていないらしい。ロイターによれば、共和党は新たなオバマケア代替法案を策定し4月の可決を目指すとした上で、トランプ大統領はTwitter(原文英語)で以下のように力説した。
オバマケアは爆発する。皆で一丸となってアメリカ国民のための優れた保険制度を実現することが出来るだろう。心配無用だ!
ガントラック氏の言う通り、米国市場は確かにトランプ政権の政策実現能力を疑っている。それは上下する市場の実質金利(実質経済成長率に相当)や徐々に下がり始めた期待インフレ率を見れば分かる。
しかし市場も何処まで疑えば良いのかわかりかねているといった感じだろう。すべては不透明なのである。
トランプ政権の政策実現能力
トランプ氏の政策実現能力については様々な人が様々なことを言っているが、わたしも一つ小話を挟んでおきたいと思う。
トランプ大統領の自信満々な態度を見ていると忘れがちになってしまうが、彼は完全な政治の素人である。しかし彼が政治の素人で、現在議会を説得する能力がないから、今後も議会の説得に失敗し続けると投資家が推論するならば、その論理は飛躍だと指摘しておこう。
それはトランプ氏自身の立場に立って考えればより明らかになる。実業界で成功した能力ある人物が、全く経験のない新たな分野に放り込まれ、成果を出すことを求められたら、その人物は一体どう考えるだろうか?
一つの分野で成功した人物は経験の重要性を知っている。投資の世界で言えば、今ではリーマンショックさえ経験していないトレーダーが金融の世界にも多く居る中で、リーマンショック以前の金融危機を実際に乗り越えた経験は、次の金融危機において大きな武器となるのである。
それは政治の世界をまったく知らないと言えるトランプ氏にとっても同様である。その分野で実務に携わった長年の知見とノウハウがあるからこそ成功出来るのであり、その業界での経験なしに成功しようとするのは、武器も持たずに素手で戦地に赴く兵士のようなものである。
不動産投資の世界で成功したトランプ氏は、その無力さをよく知っていることだろう。一つの分野で成功していればしているほどに、新たな分野で自分が丸裸であることを感じるものである。例えば、ジョージ・ソロス氏は著書『ソロスの錬金術』のなかで、初めて日本の債券市場に手を出した時のことをこう語っている。
私にはまったく経験のない新しい市場だが、ほかの市場参加者たちは、私よりも経験が浅いに違いない。
この文章から感じられる未経験の自覚と自分への自信が分かるだろうか? 経験がないことの不利は自覚しているが、他の市場参加者が知っているその業界の常識さえ分かってしまえば、自分が遅れを取ることなどないと彼は言っているのである。
トランプ氏は恐らく、この時のソロス氏と同じような心境で居ることだろう。政治の世界での経験という武器がなければ、様々な利害関係者の思惑がひしめくアメリカの議会において、始めからすべて上手く行くようなことは望めないことは本人も分かっているはずである。
そのようなことは大統領選挙に立候補した時から自覚していた上で、それでも自分ならば何とかなると踏んで、大統領をやっているのである。
結論
トランプ氏は今、実業界での交渉と政治の世界の交渉は質的に異なるということを肌で感じている。では何が違うのか? 議員を説得するためには、自分の交渉のノウハウをどのように政治向けに修正すれば良いのか? 彼は今必死に考えているはずであり、そして同時に、自分ならば出来ると確信しているはずである。
だから、今のトランプ氏が議会を説得出来ないからと言って、数カ月後のトランプ氏も議会を説得出来ないと考えるのは、論理の飛躍である。大多数の成長しない人間は、ある種の人間が驚異的な速度で自分を調整するということが理解出来ないのである。
色々と書いたが、わたしは個人的にトランプ氏に会ったことはないので、これは彼の能力や性格を分析した上で出した結論ではない。わたしならばそうするということであり、トランプ氏にどれだけの能力があるのか、楽しんで見させてもらおうと思う。
この話はいわば箸休めである。周りの投資家がトランプ政権について議会の派閥や制度の話ばかりするものだから、より個人的なレベルの視点で話をしてみたくなったのである。