世界最大のヘッジファンドBridgewater創業者のレイ・ダリオ氏が、自身のブログで新著『国家はどのようにして一文無しになるのか?』(仮訳)の内容を解説しているので、引き続き紹介してゆく。
衰退に近づく先進国
ダリオ氏のテーマは政府債務と、それに伴うインフレや通貨安である。それは前著『世界秩序の変化に対処するための原則』で、歴史上の国家が大国に成長してから債務増加とインフレで衰退してゆく様子を解説した頃から変わっていない。
だが新著は、そのタイトルから分かる通り、国家の興亡の段階のうち衰退のフェイズに焦点を当てていることが分かる。
何故衰退に焦点を当てているかと言えば、ダリオ氏はコロナ後のインフレでアメリカや日本などの先進国がその段階に近づいたと感じているからである。
政府債務は問題ないのか
問題の根源は政府による政府支出と政府の借金である。コロナ後、先進国の莫大な現金給付が世界的なインフレを引き起こした。
政府債務は問題ないのか。それこそダリオ氏が前著で語っていたことだが、低金利政策は最初はインフレなき株高を生む。流入した資金が金融市場にしか行かない間は、インフレ政策に副作用がないように見える。
しかし低金利政策は量的緩和になり、コロナ後には量的緩和でも足りなくなって現金給付に移行し、世界的な物価高騰を生んだ。
そしてインフレ対策で金利を上げなければならなかったことによって、政府債務に多額の利払いが発生し、アメリカではGDPの4%近くが国債の利払いに消えている。
アメリカは借金の利払いを新たな借金によって返している。だがそれが新たな利払いを生む。
それで政府債務がねずみ算式に増えており、多くの機関投資家がアメリカの財政を心配しているのである。
国債を持つリスク
機関投資家たちは主に国債の価格下落を心配しているが、それは一般の国民にとっても他人事ではない。何故ならば、人々の預金先の銀行は預金で国債を買っているので、預金者は間接的に国債を保有していると言えるからである。
だが一般に、あるいは金融業界でも国債は安全資産だということが言われていた。だがインフレや通貨安が起きる世界では、「安全」の意味を考える必要がある。
ダリオ氏は次のように言っている。
わたしにとって興味深いことだが、格付け会社が国債の格付けを行うとき、国債が価値を失うリスクを評価していないことは不適切だ。
彼らはデフォルトのリスクだけを評価する。そしてそのことにより、高格付けの国債はすべて富の貯蔵手段として安全だという誤解を与えてしまう。
ダリオ氏が言っているのは、インフレや通貨安のリスクのことである。ダリオ氏の前著の歴史研究では、歴史上のすべての通貨はインフレや通貨安で消え去るか、そうでなくとも大幅に価値が下がってきた。
価値が上がった通貨などない。それは政府が自分の債務負担を実質的に減らすため、金貨でも銀貨でも紙幣でも、その価値を長期的にずっと下げ続けてきたからである。
借金とは紙幣を返すという約束である。だから紙幣印刷は債務者にとって得になる。しかし国債を持っているのは実質的に国民だから、国民にとっては自分の資産を政府によって減価させられるということを意味しているのである。それがインフレであり、通貨安である。
紙幣印刷の意味
中央銀行が紙幣を印刷すれば政府債務は返せる、だから先進国はデフォルトしないということがまことしやかに囁かれてきた。
それは正しい。中央銀行が紙幣印刷をすれば政府はデフォルトしない。だが、それは通貨安とインフレで国民がどうなっても良いと考える人だけが口にするアイデアである。
事実、日本円の価値はアベノミクス以来の量的緩和によってドルと比べて半分になっている。それは日本円を保有する日本人にとって輸入物価が倍になったことを意味する。
だが、日本円に比べれば価値を維持しているように見えるドルでさえも、これまでのインフレのお陰でゴールドに比べれば著しく減価しているのである。
では日本円はゴールドに比べてどれだけ価値を失ったのか。あなたの財布に入っている紙幣の話である。
結論
どんどん紙幣ではものが買えなくなってゆく。だがそれはものの価値が上がっているということではない。あなたの持っている紙幣の価値が下がっているのである。
「国債や預金は安全だ」「政府はデフォルトしない」という主張は、インフレや通貨安という現実の前には何の意味も持たない。無意味な主張である。
ダリオ氏は次のように言っている。
中央銀行は政府を救済できるので、国債の本当のリスクは隠される。
債権者にとっては、格付け会社がデフォルトと減価の両方のリスクを正しく評価できていた方が良かっただろう。結局、国債は富の貯蔵手段なのだから、そのように評価されるべきなのだ。
デフォルトか減価か、そんなことはどちらでもいい。わたしにとって重要なのはその資産価値が下がるかどうかであって、それはどちらにしても避けられない。
「それはどちらにしても避けられない」とさらっと書いているところが恐ろしい。だがダリオ氏の前著の歴史研究を読めば、それを避けられた大国など歴史上ほとんどないことが分かるのである。
世界秩序の変化に対処するための原則