レイ・ダリオ氏、紙幣が紙切れになり物価高騰を引き起こした1971年のニクソンショックを説明する

引き続き、世界最大のヘッジファンドBridgewater創業者のレイダリオ氏の著書『世界秩序の変化に対処するための原則』から、通貨は歴史上どのように価値が下がっていったのかについて説明している部分を紹介したい。

通貨の価値とニクソンショック

すべての通貨は長期的に価値を減らされてゆく。それは通貨がゴールドやシルバーで出来ていた頃から変わらない事実である。硬貨に含まれていた貴金属の含有量は政府によって徐々に減らされ、通貨が紙幣となった今でも中央銀行は紙幣を印刷してその価値を薄め続けている。

近代では、その大きな転換点となった出来事こそが1971年のニクソンショックである。

通貨は、歴史的にはまず貴金属を含んだ硬貨となり、その後貴金属を銀行に預けた時の預かり証が紙幣として流通するようになった。

紙幣がゴールドやシルバーの預かり証として機能していた時の制度を金本位制や銀本位制と呼び、それが最終的にはただの紙が流通するようになった今の不換紙幣の時代へと繋がってゆくわけである。

ニクソンショックは、戦後長らく金本位制だった通貨の制度が不換紙幣へと移行した転換点なのである。

現物資産の裏付けのあった紙幣

1971年に何が起こったのか。ダリオ氏はまず貴金属の裏付けのあった紙幣の時代から説明している。

紙幣のように現物資産の裏付けのある貨幣が導入されたとき、銀行には紙幣と同じ量の現物資産が保管されていた。

紙幣は貴金属の預かり証だった。だから当然、銀行にゴールドを預けて預かり証をもらうわけだから、紙幣の量と預けられているゴールドの量は一致していた。

だがここで銀行はあることに気付くことになる。預かっているゴールドの大半はただ倉庫に眠っているだけで、それを実際に取りに来る人は極一部である。

だからゴールドをすべて保管していなくても、取りに来る人にだけ対応できる量のゴールドだけ常備しておけばそれで良い。

これは実は今の銀行でも同じことである。人は銀行に紙幣を預けるが、実は預けられた紙幣のほとんどは銀行にはない。銀行は誰かにそれを貸し出しているからである。

預金のほとんどは預けられたままなので、銀行は全部を保管している必要はないのである。

いつの間にかなくなったゴールド

さて、この預かり証ビジネスは、ゴールドがこっそりなくなっても誰も文句を言わないので、こんなに良い商売はないということで政府が独占するようになった。中央銀行の始まりである。

今でも貸し金庫という商売はあるが、預かり証を勝手にただの紙切れにしても違法ではないのは中央銀行だけである。

さて、アメリカの中央銀行はドルとゴールドの交換を維持しながらも、ゴールドはいつの間にかなくなりつつあった。ダリオ氏はこう続けている。

1945年の後、外国の中央銀行には金利の付く債券か、金利の付かないゴールドを保有する2つの選択肢があった。

ドル建ての債券はゴールドと交換可能だったので、ゴールドと同じくらい良いと考えられていて、しかも高い金利が付いたので、各国の中央銀行は1945年から1971年まで外貨準備にゴールドを減らしてドル建ての債券を増やし続けた。

ゴールドは金利が付かないが、ドルは金利がつく。しかもドルはゴールドと交換してくれるとアメリカが言っている。

こうなればゴールドではなくドルに人々が殺到するのは当然である。

だが一方でアメリカの中央銀行の中では、ドル紙幣はどんどん増え、ゴールドの貯蔵は追いつかなくなっていた。ダリオ氏は次のように述べている。

投資家がこのように動くのは典型的な行動で、それは紙幣の量が銀行に保管されている現物資産(ゴールドなど)の量を大きく上回り、人々が銀行にある現物資産の量が減っていっていると気付いた時に終わる。

ゴールドの預かり証の終わり

最終的にどうなったか。ダリオ氏は次のように説明している。

1971年の夏、ヨーロッパを旅行していたアメリカ人は、ドルをドイツマルクやフランやポンドに両替できなくなった。

ニクソン政権はドルを切り下げることはしないと言い張ったが、1971年8月、アメリカはドルを持ってくれば預かっていたゴールドを返すという約束を債務不履行にし、代わりに不換紙幣を差し出した。

ゴールドはないが紙切れならあるからこれを持っていけということである。

そして驚くべきことに人々は紙切れを持って行った。しかもそれから50年以上経つ今でも紙切れを使っている。

これまでの記事で説明したように、この1971年がドルにとって長期の上昇相場の終わりだった。ドルはそこからゴールドに対して何十年も長期的に下落している。

その後どうなったか。ニクソンショックから始まった1970年代は、アメリカでは物価高騰の時代として有名である。ダリオ氏はこう続けている。

1970年代前半、ほとんどのアメリカ人はインフレを経験したことがなかったので、誰もそれを心配せず、物価が高騰するのを許してしまった。

1970年代の終わりには、誰もがインフレがトラウマになり、インフレは永遠に終わらないのだと思うようになった。

そしてそれをポール・ボルカー氏が終わらせたのである。

結論

だがこの状況は、量的緩和から現金給付へと移行した今の状況と少し似てはいないか。ほとんどの人はインフレを経験したことがなかったので、誰もそれを心配せず、物価が高騰するのを許してしまった。

1970年代の場合、物価高騰が終わったのは人々がインフレがトラウマになり、どんな方法でも良いからそれを終わらせてほしいとボルカー氏に頼んだからである。

ボルカー氏は金利を引き上げて景気後退を引き起こしながらインフレを終わらせた。

ミレイ大統領がハイパーインフレを終わらせたアルゼンチンでも、人々がインフレがトラウマになったからインフレを終わらせられたのである。

だがそれは逆に言えば、人々がトラウマになるまでインフレは終わらないということではないのか。

今の人々はインフレがトラウマになっているとは到底思えない。何か不況があればまた紙幣印刷に頼りそうな雰囲気がいくらでもする。それは日本円やドルがこれからどうなるかということを物語っている。


世界秩序の変化に対処するための原則