ミレイ大統領、政府よりも市場経済が資源を効率良く配分できる理由を説明する

引き続き、アルゼンチンのハイパーインフレを打倒した大統領で、オーストリア学派の経済学者でもあるハビエル・ミレイ氏の、レックス・フリードマン氏によるインタビューである。

今回は資本主義の本質と、政府による支出の非効率さについて語っている部分を紹介したい。

資源分配の仕組みとしての資本主義

資本主義とは、経済の中に存在する資源を分配するための仕組みである。経済に存在する物的資源や人的資源は限られている。それを使って人々は自分たちにとって必要な商品やサービスを作ってゆくわけである。

先進国政府が低金利政策を実行していたとき、機関投資家たちは低金利が利益を産まないゾンビ企業を延命しているとして批判していた。

誰も買わない商品を作り続ける企業が延命されているということは、そのための材料や労働力が浪費されているということである。

もしゾンビ企業が低金利政策によって延命されていなければ、それらの資源は人々が欲しがる商品を作る別の企業が有効活用できていただろう。資源は有限なのである。

ミレイ大統領と市場経済

ミレイ氏は経済のほぼすべてを政府ではなく私企業の営利活動に任せることを決めた大統領である。インフレを引き起こしていた政府支出をなくし、税金をなくし、経済から政府を撤退させ国民のお金は国民が使えるようにした。

それは、税金の使い道を政府が決めるのではなく、国民自身が自分で稼いだお金をどう使うかを決めるということである。

そのミレイ氏が、資本主義と自由市場経済について次のように語っている。

自由市場の資本主義こそが資源の配分のために人間が生み出したシステムの中で最高のものだ。

何故そう言えるのか。その説明はオーストリア学派の経済学者であるミレイ氏にとってはど真ん中の専門分野である。

価格のあることの意味

ミレイ氏は次のように説明している。

まず市場というものがどう機能するかを理解する必要がある。

道路を作るとき、ゴールドではなくアスファルトで作るのは何故か?

価格というものを考えているからだ。

なぜゴールドはアスファルトより高価なのか? ゴールドの方が貴重だからである。資源は有限なので、経済はこの貴重な資源をどう使うのかを真剣に考えなければならない。

ゴールドの価格は高いから、人々はそれを浪費することを躊躇する。本当に必要な時にだけそれを使おうとする。

もしゴールドやシルバーなど貴金属が道路の舗装のために浪費されれば、貴金属が本当に必要な場面、例えば歯科治療などの分野で使える貴金属の量は減り、人々は物資の不足で困ったことになるだろう。

価格と政府の干渉

だから価格は重要である。そして市場が決めるこの価格は、人々が市場で自由に売買できる時にだけ存在する。

ミレイ氏は次のように述べている。

政府が干渉するとき、市場には歪みが生じる。

市場では買うのも売るのも自由でなければならない。それが競争を産む。

例えば電気自動車やソーラーパネルなどの政治的推進物は、補助金によって安くなっている。それは市場の価格が歪められた状況である。

価格が歪められればどうなるか? 補助金がなければ人々は買わなかっただろうもの、人々から求められていないものが世の中に蔓延する。

それが環境に良いと政治家たちは口では言うが、ソーラーパネルを置くための禿山にされた山の自然や、数十年後に発生するソーラーパネルというゴミの山はどうするのかを考えれば、彼らは経済にも環境にも何のプラスにもなっていないことが分かる。

政治家は何のためにいるのか。だからミレイ大統領は政治家を不要と見なして閣僚の数を半分にしたのである。

価格と私有財産

だが、何故そもそも政府はどの資源がどのように使われるべきかを決めることが出来るのか? 政府は営利企業ではないので、資源を買うお金は持っていないはずである。

その資源は国民の税金によって買われる。つまり、政府は国民が自分で使うはずだった資源を取り上げ、その用途を政治的な理由で曲げてゆく。

そしてその資産没収、つまり徴税は、ミレイ氏によれば何の倫理的根拠もなく、単に暴力によって行われている。

それは政治経済学で言うところの私有財産権の侵害である。そして上で説明した通り、私有財産権が侵害されるところでは、価格は歪められる。

ミレイ氏はこう纏めている。

だから私有財産がなければ価格は存在しない。

私有財産というものがなければ価格は存在せず、資源は霧散してゆく。

結論

だからミレイ氏は、政府の存在は自由と財産の権利に反していると言っているのである。

そして政府の干渉のない市場経済では、人々に求められるものの価格は高くなり、不要なものを作る業者は資金を失って速やかに退場してゆく。そして不要な商品に使われていた材料や人材は、人々が求める商品を作る優良企業のために再配分される。

ミレイ氏は次のように主張している。

資本主義で一番素晴らしいことは、他人に良い商品を良い価格で提供することによってのみ成功することが出来ることだ。

あなたが成功すれば、社会は良くなる。これは非常に重要なことだ。

それがミレイ氏らオーストリア学派の経済学者の主張である。だがそれは元々、マクロ経済学の父とされるアダム・スミス氏の主張でもあった。

スミス氏のかの有名な『国富論』には次のように書いてある。

人は自分の利益を追求することで、意図的に公共の利益を促進しようとする時よりも効率的に公共の利益を促進することができる。

実際、人は一般に公共の利益を促進しようとしているわけでもなければ、自分がどれだけ社会に貢献しているのかを把握しているわけでもない。

しかし見えざる手に導かれ、自分が意図していない目的を実際には促進しているのである。

そして大胆にも公共事業についてはこのように書いてある。

わたしは公共の利益を推進するとうそぶいている人によって大きな何かが成し遂げられた例をまったく知らない。

これが有名な神の見えざる手の議論である。

筆者の意見では、マクロ経済という学問さえ無かった時代に書かれた『国富論』は、今でもマクロ経済学の初学者にとって経済を分かりやすく説明してくれる名著である。

財政出動を正当化するケインズ経済学が支配したインフレ政策の100年を経て、世界経済はようやくアダム・スミス氏の経済学に回帰しようとしている。


国富論