機関投資家のポジションを開示するForm 13Fが公開されているが、ジョージ・ソロス氏のポジションのなかにこの政治テーマに関するものが含まれていたので、先ずはこちらから話す必要がある。
ネット中立性
「大きな政府」を望む民主党のオバマ政権は多くの規制を行なったが、その一つに「ネット中立性」に関する規制があり、インターネットプロバイダなどの事業者はオバマ政権の課した強い規制のもとに事業を行なっている。
この規制に関する議論のもととなったのは、インターネットプロバイダが動画サイトの閲覧など負荷の高い通信に対して帯域制限などの対処を行なっていたことに対して、オバマ大統領が「合法なコンテンツを差別することがあってはならない」としてFCC(連邦通信委員会)にプロバイダがコンテンツの内容によってデータの「差別」を行わないように監視の権限を与えたものである。
名前の通り、この規制は事業者が恣意的にインターネット上のコンテンツを選別することを禁じるものであり、インターネットの中立性を目的としたもののように見える。しかし規制とは国民の自由な行動に対して政府が介入するものであり、「ネット中立性」規制はその名前とは反対に政府がインターネットを管理する権限を与えるものだとして一部の論者が強く反発していた。
規制に反対しているFCCの共和党側の委員、アジット・パイ氏(トランプ政権が任命)は、FCCの規制を「ワイヤレスから自宅のインターネットに至るまで、政府がインターネットのすべてをコントロールすることを目的とした重大な動き」であるとして非難している(Fox News、原文英語)。
政府によるインターネットの管理
特に問題となったのが「ネット中立性に対して何が有害であるかはFCCによってケースバイケースで判断される」という条項(general conduct rule)である。この条項によれば、決まったルールなくFCCが自分の裁量でプロバイダの行動に干渉出来ることになり、インターネットの監視について不必要に強力な権限を政府に与えることになるとして、一部の層が猛反発していた。
「ネット中立性」というテーマそのものに正当性がないわけではない。政府による規制がなければ、今度はインターネット事業を独占する大企業に、インターネットを管理する強大な権限を与えてしまうことになるだろう。
しかし問題は、オバマ政権が「ネット中立性が必要」という錦の御旗を理由にインターネット検閲を推し進めようとしたことである。
個人的な見解では、こうした問題については独占禁止法などのより広範なルールによって多くの事業者が参加出来るようにし、特定の大企業に強大な権力が集まらないようにすれば良いと考えている。ある企業が不平等なインターネット検閲を行い、消費者がそれを嫌えば、消費者は他の企業のサービスを使えば良いのである。
しかし政治家はそのような合理的な解決策を無視して、「ネット中立性」を政府の権力を強化する言い訳に利用することを望む。こうした動きは、反レイシズムを建前に移民政策を推進するための言論統制を行おうとする大手メディアや、自由貿易を建前に消費者の安全をグローバル企業に売り払うTPPと同じものである。TPPは自由貿易などではない。世界中の消費者を食品添加物漬けにすることを目的とした政治家とグローバル企業の談合である。安倍政権がいまだTPPに執着する理由はそこにある。
海外では特にそうだが、こうした政策は通常リベラルを標榜する政権から生まれてくる。メディアの偏向報道に対してインターネットを使って有権者に訴えかけ、そして選挙に勝利したトランプ氏の当選を受けて、ドイツのメルケル氏にインターネットを検閲させようとした連中と、今回の「ネット中立性」は同じ根を持った政治的潮流である。
「リベラル(自由主義)」という言葉は良く出来た皮肉ではないか。リベラルの政治家にはインターネット検閲を行う中国政府のような共産主義の血が確実に流れている。しかし一部の庶民は、リベラルが自分達を救ってくれると考えてヒラリー・クリントン氏やメルケル氏などを支持するわけである。しかし、それで得をするのは確実に別の層であり、共産主義で得をするのが庶民ではなく一部の人々であるというのと同じ構図である。
規制緩和を標榜するトランプ政権
トランプ政権はこの「ネット中立性」を含め、様々な規制を取り払おうとしている。トランプ大統領の規制緩和への姿勢は、政府にまともな規制を行う能力などなく、むしろ政治家は国民をコントロールするために規制を利用しようとする、というビジネスマンとしての実感から来るものだろう。
そしてそれは正しい。反レイシズムも自由貿易もネット中立性もすべて同じだが、その根拠自体に正当性がないわけではない。しかし政府がそれらを根拠に何らかの介入を行おうとすると、実際に出来上がってくる規制は元々の根拠からかけ離れた化け物のようなものになってしまう。黒人に対するレイシズムを取り締まろうとした結果、アメリカで何が起きたかを思い出したい。
今ではアフリカ系アメリカ人のコミュニティへの法の執行そのものが人種差別だと非難されるようになっている。
警察官は実力行使が必要となるような状況においても実力行使を行いたがらないようになった。一つには犯罪として起訴される可能性を恐れてのことであり、もう一つには人々からレイシストと呼ばれ非難されることを恐れ、警察官は本来行動しなければならないような時に行動しないことを選ぶようになったのだ。警察官をそのように萎縮させた結果は暴力犯罪の急激な増加に結びつくことだろう。
結果、多数派の有権者はリベラルの言うことに対して非常に懐疑的になるようになった。それがイギリスのEU離脱であり、アメリカのトランプ大統領なのである。
こうした政治的な流れの結果、一番被害を被るのは本来保護されるべきネット中立性や、レイシズムの不当な被害を本当に受けている人々である。リベラルは自由主義でもマイノリティの味方でもない。人々はもう一度よく考えるべきである。