アメリカのロナルド・レーガン大統領の経済政策、いわゆるレーガノミクスについて、一度纏めておく必要があるだろうと思ったので、今回の記事で取り上げておきたい。
1981年から1989年まで続いたレーガン政権は、減税と財政出動を最大限行った政権であり、しかもその8年の任期は初期の金融引き締め期とその後の金融緩和期の二つの時期に分けられる。この意味ではレーガン政権は、財政政策が景気刺激としてどれだけ機能するのか、そしてそれは金融緩和なしでも持続可能だったのかという二つの問いに対する実験を実際に行った政権であり、その実験結果は現代の投資家にとっても興味深いものと言えるだろう。
レーガノミクス
先ず、レーガン大統領が就任した時期のアメリカ経済はいわゆるスタグフレーションに苦しんでいた。高騰するインフレ率を退治するためにFed(連邦準備制度)は利上げを行い、政策金利は19%に達していた。一方で経済成長率は振るわず、高騰する金利によって景気低迷が続いていた。
こうした状況を受け継いだレーガン大統領は、減税によって景気刺激を行う一方で、共産主義勢力に対抗するため軍事費を増やした。結果、アメリカの財政赤字は急速に膨らんでゆく。1970年代にはGDP比2%前後だったアメリカの財政赤字は、レーガン政権の1980年代にはその倍の水準まで膨張した。
財政赤字が重要なのは、先ず金利に影響を及ぼすからである。増税が選択肢に無いのであれば、赤字が増えれば政府は国債を発行するしかない。国債発行によって国債市場に大量の国債が供給されれば、国債の価格は下落する。債券価格の下落は金利上昇を意味するので、レーガノミクスの財政赤字は先ず金利の上昇をもたらしたわけである。
以下は10年物米国債の実質金利(インフレ率を差し引いたもの)であり、つまりは実質長期金利である。レーガン大統領の就任した1981年頃から急激に上昇していることが分かる。
問題は、レーガノミクスの減税と財政出動が、この金利上昇による悪影響に勝てたかどうかである。
レーガノミクスにおけるアメリカの経済成長
結論から言えば、レーガノミクスによって先ず証明されたのは、減税と財政出動では大幅な金利上昇には勝てないということだった。財政赤字による高金利と、レーガノミクスによる減税および財政出動をあわせた結果、レーガン政権始めの2年である1981年と1982年に、アメリカ経済は景気後退に陥っている。以下は当時のGDPの推移である。
しかしその後GDPは成長しているではないか? 転換点である1982年に何があったかと言えば、Fedが長年の高金利トレンドによってインフレを退治し終わり、利下げを始めたのである。以下は政策金利のチャートである。
先に引用した実質金利はインフレの沈静化によってその後何年か高止まりし続けるものの、Fedの管理する名目の政策金利は下落を始め、株式市場はこれに大いに反応する。
逆に言えば、レーガノミクスにおけるアメリカ経済と株式市場は、Fedが利下げを始めるまで悲惨な状況にあったということである。米国株はレーガン大統領の就任前後を天井として、20%以上の下落を記録している。当時のインフレ率の高さを考えれば、投資家の実質的なリターンはそれ以上に悪かったことになる。
つまり、財政出動だけでは利上げの悪影響に対抗出来なかったのである。しかし1982年以降、レーガノミクスは中央銀行による利下げを味方に付け、財政政策と金融政策の両輪が揃ったアメリカ経済は成長へと突き進むことになる。ここまでで既に長くなったので、続きはまたの記事ということにしたい。