サマーズ氏: AIでプログラミングは時代遅れになる

アメリカの元財務長官であり、現代屈指のマクロ経済学者であり、しかもChatGPTを開発しているOpenAIの取締役でもあるラリー・サマーズ氏が、The Aspen InstituteにおけるインタビューでAIが出来た後に子供は何を勉強すれば良いかについて語っている。

孫娘に学ばないよう奨めるもの

この話題はサマーズ氏の以下のおめでたい発言から始まった。

2週間前に孫娘が生まれた。

そこでOpenAIの取締役でもあるサマーズ氏に司会者が聞いたのが、AIのある世界で子供に対して何を学ぶように奨めるかである。

まずわたしが孫に勉強しないように奨めるものはプログラミングだ。

ちなみにこの発言は大いに正しいと筆者も考えている。サマーズ氏は経済学者だが、OpenAIでの仕事に関連して本物のAIの技術者と知識を交換しているからだろう。サマーズ氏はさもそれを当たり前かのように言っている。

ここでは何度も言っているが、AIとは機械が人間のように喋りだして人間の代わりにものを考えてくれるようになるものではない。

AIはそういうものではまったくない。そう思っているのはAIの中身をよく知らない人だけで、OpenAIの技術者などAIをよく知っている人が口を揃えて言うことは、AIによって人間はプログラミングをしなくても良くなるということだ。

それは、AIの得意分野が人間のような思考をすることではなく、言語処理で実用に耐えうる仕事ができるということだからである。

ある程度の言語処理ができるということは、人間は日本語や英語でコンピュータに語りかけることができるということである。

これまでコンピュータに細かい命令を与えるには、プログラミング言語を使うしかなかった。だがこれからは普通に言葉でコンピュータに話しかければ、コンピュータは複雑な仕事をやってくれるようになるだろう。

AIがやってくれること

こう言うからといって、筆者は決してAIの有用性を否定しているわけではない。むしろ、プログラマーでなくともプログラマーと同じ仕事ができるということのポテンシャルは計り知れないと考えている。

だからAI銘柄本命のNVIDIAも、短期投資分のポジションは利益確定したが長期投資分のポジションはまだ持っている。

だがAIの波に本当に乗りたいのであれば、AIの強みを正しく理解することが必要である。ロボットが人間に取って代わるとか、奇妙な妄想に囚われていないでAIという技術を正しく理解することである。

そうすればAIによって淘汰されるものと淘汰されないものが正しく分かる。そしてサマーズ氏は淘汰されるものの筆頭がプログラミングだと言っている。

サマーズ氏は次のように続けている。

わたしが運転免許証を取得した時、わたしの父はわたしに車の修理を学ぶように言った。タイヤの換え方や、車の持ち上げ方、バッテリーの交換などだ。事故に遭えば自分で車を直さなければならなくなるという理屈だった。

わたしは自分の息子にそんなことは薦めなかった。自分でもそんなことは出来ない。世界はそういう知識なしでもやっていける方法を発明した。そろばんを使ったり、ルートの計算を紙の上でやったりする必要はなくなった。プログラミングも同じようになる。

AIそのものを作るような超ハイレベルな天才の仕事は別だ。だがホテルの予約を管理するようなシステムの構築は、機械がやることであって人間が理解しなければならないことではない。

だからプログラミングを勉強するのはまずいアイデアだ。

結論

ITという分野がもてはやされるようになってからそれほど時間は経っていない。サマーズ氏は次のように言っている。

誰もがプログラミングを学ぶべきだと言われていたのはたった15年ほど前のことだ。

思い出されるのは、2022年、まさにChatGPTが誕生した年に日本政府が高校の授業にプログラミングや統計を必修化したことである。

プログラミングも統計も、ともにAIが人間にかわって行なうことをもっとも得意としている分野である。特に統計はAIの機能そのものである。

この必修化が始まってから半年後にChatGPTは発表された。素晴らしいタイミングではないか。政府は技術や学問を正しく理解できる人材を集められない。だからこういうことになる。そうして子供たちは無駄な勉強を強いられる。

サマーズ氏は次のようにも言っている。

1960年にはアメリカの高校生は我先にロシア語を学ぼうとした。そしてロシア経済はとても残念な結果に終わった。

1990年にはアメリカの子供たちは我先に日本語を学ぼうとした。そして日本経済はとても残念な結果に終わった。

2020年には誰もが自分の子供に中国語を学ばせようとした。そして中国経済はとても残念な結果になろうとしている。

親や大人は余計なことを考えないことである。子供がやりたいことをやらせるのが良い。自分が何をやるべきかについて、子供は大人より賢いのである。