第2次世界大戦においてナチスのユダヤ人殺害を支持したドイツ国民が、現代においてまたもやイスラエルによるガザ市民殺害を支持している。
パレスチナとイスラエル
パレスチナ情勢における西側と非西側の見方の違いは明らかである。西側諸国が10月7日のハマスによるイスラエル市民攻撃が原因だとハマスを糾弾する一方で、その他の国々は、大半がアラブ人だったパレスチナの土地にイギリスとアメリカがユダヤ人国家を人工的に建設し、その後イスラエルがパレスチナ人を何十年にもわたって追い出し殺害してきたことが根本的な原因だと考えている。
特にハマスよりもむしろガザ市民の方が犠牲となっている現在のイスラエルの攻撃から、欧米諸国でもこの状況でイスラエルを支持するのは無理筋だということに気付き始めている人は多い。
例えばニューヨークに本部を置くNGOのヒューマン・ライツ・ウォッチは次のように述べている。
西側諸国やEU加盟国が自分たちの政治を推し進めるために国内外の人権侵害に目をつぶるのは、偽善以外の何物でもない。
特にハマス・イスラエル戦争において、一部の国は10月7日のハマスの軍人によるイスラエルの民間人殺害に厳しい非難を表明したが、アメリカやEUやその他の国々が、イスラエル当局によるガザ爆撃とガザ市民殺害を非難する声ははるかに少なかった。
こうしたダブルスタンダードはグローバル・サウスの国々に気付かれている。
イスラエルを支持するドイツ
こうした状況にもかかわらず特にイスラエルを支持しているのは、イスラエルの後ろ盾であるアメリカと、そしてヨーロッパでは特にドイツである。
ドイツはナチス時代にユダヤ人を殺害した過去があり、ドイツ国民はこの事実を非常に負い目に感じている。
その結果イスラエルに対するドイツの態度はどのようになるか。ドイツのショルツ首相はイスラエルを非難するトルコのエルドアン首相との会談で次のように言っている。
イスラエルの自衛を可能にし、それに疑いを差し挟んではならない。
「疑いを差し挟んではならない」とはどういうことだろうか? イスラエルが自衛の名のもとにどのようなことをしようとも「疑いを差し挟んではならない」のだろうか? 普段「民主主義」を掲げる西洋の国々の「民主主義」は、いつも自己都合で風に飛ばされてしまう。
これに対して会談していたエルドアン大統領は次のように述べている。
われわれはイスラエルに何の負い目もないので自由に話すことができる。われわれにはホロコーストを行なった過去がない。
ドイツ人は変わったのか?
ドイツは日本に対して、自分たちは侵略戦争の過去を反省しているから日本も反省しろと何度も迫ってきた。だが今ドイツ人が行なっていることは、イスラエルがハマス打倒の名目のもとにガザの民間人を殺害しガザから追い出すという、まさにナチスドイツが行なってきたことと同じものを支持することである。ちなみにイスラエルはジェノサイドで国際司法裁判所に提訴されている。
注目すべきことは、100年近く経っても国は変わらないということである。これはアメリカで黒人差別を終わらせるために非マイノリティに対する差別が行われていることと同じである。アメリカでは黒人優遇の制度のためにアジア人に生まれただけで大学入試に通りにくくなる。
ターゲットがユダヤ人からパレスチナ人に変わっただけで、ドイツ人の本質は何も変わっていないのである。「疑いを差し挟んではならない」というのはまさにナチスの考え方である。だがドイツ人たちは自分でそれに気付かない。
結論
少なくともこの争いとは何の関係もない日本人は、第三者から見た場合に明らかな西側諸国の偽善とは距離を置くべきだ。近づいても何のメリットもない。
だがそれも出来ないだろう。西側諸国のイスラエル支持に距離を置けなかった日本政府の対応によって、その他の国々に日本はイスラエル支持の国として認識されている。ウクライナでもそうだが、戦争を支持して自分だけ無事でいられると思わないことである。
何故そうなってしまうのか。第2次世界大戦においてよりにもよってドイツと組むという歴史的失敗を犯してしまった日本人の外交音痴が100年経っても変わっていないからである。移民政策や共通通貨ユーロにおけるドイツの振る舞いを考えれば、ドイツがどういう国か分かるだろう。
世界はますます西側諸国を白い目で見始めている。外交の結果は必ず日本に降りかかるだろう。