7月19日の共和党大会でドナルド・トランプ氏が正式に共和党の大統領候補として指名され、その後の世論調査ではトランプ氏の支持がヒラリー・クリントン氏の支持を上回るなど、2016年アメリカ大統領選は佳境に達している。
今回の大統領選で大きな論点となることの一つは、トランプ氏の過激な発言だろう。しかし長女のイヴァンカ・トランプ氏は、この記事のタイトルにあるように、一般的なトランプ氏のイメージとは相容れない見方でトランプ氏を見ている。
タイトルの発言は共和党大会でイヴァンカ氏が行ったスピーチのなかに現れたものである。今回の記事ではこの発言の真意と、トランプ氏の選挙戦略における娘イヴァンカ氏の立ち位置について説明してゆきたい。
共和党大会におけるイヴァンカ氏のスピーチ
トランプ氏が共和党候補として指名された党大会において、イヴァンカ氏は父トランプ氏を紹介する15分ほどのスピーチを行った。以下がその動画である。
このスピーチの中では、トランプ氏の政策よりも、彼女のこれまで見てきたトランプ氏の人物像について時間が割かれていた。
様々なことが語られたなかで、有権者にとって特に興味深いのは、トランプ氏の不動産会社において女性やマイノリティがどのように働いていたかを語った部分である。以下に引用しよう。
父のそばで不動産ビジネスを見てきたことで、わたしはこの世界について多くのことを学びました。正しく運営されている限り、建設現場は実力主義の世界です。能力のある人は容易に見分けられ、能力がなければそれを隠すことはできません。
建設現場は驚くほどに人種のるつぼです。様々な人々を集めて、一つの目的のために団結させるのです。あらゆる人種の人々が父の建設現場で働いていましたし、女性の活躍が一般的になるずっと前から、父のもとでは女性が働いていました。
わたしの父は才能を重視します。豊富な知識や能力を持った人がいれば、父は決してそれを見落とすことはありません。父は肌の色で人を差別することなく、性別に対して中立(原文: He is colour-blind and gender-neutral)です。父はいつもその仕事にもっとも適した人物を選びます。
父の会社では、男性の取締役より女性の取締役の数の方が多いのです。女性はその仕事に対して公平な給与が支払われ、そして女性が母親になるときには、彼女はサポートを受け、キャリアから弾き出されることはありません。
読者はどう思われただろうか? 彼女やトランプ氏の発言がどうであれ、トランプ氏の選挙戦略における娘イヴァンカ氏の役割は完全に定義されている。
例えば、上記のスピーチにおいて、ヒラリー・クリントン氏にネガティブな発言を行える文脈はいくらもあった。「政治家は民衆に対する口約束を評価してもらいたがりますが、父の場合は彼がこれまで成してきた結果を評価するよう皆さんにお願いします」と語った部分では、政局が変われば「口約束」を頻繁に変えるヒラリー・クリントン氏に言及することも出来ただろう。しかし彼女はそうすることをしない。Twitter上で「Crooked Hillary(腐敗したヒラリー)」を連呼している父トランプ氏とは対照的である。
選挙戦略における娘イヴァンカ氏の役割
それは彼女の性格によるということだけではなく、トランプ氏の選挙戦略としてそれが適格ではないからである。過激な発言は父トランプ氏の役割であり、イヴァンカ氏の役割はトランプ氏の過激な発言を嫌う層に訴えかけることにある。対立候補に対してだけではなく、イヴァンカ氏は一切のネガティブな発言を行わないだろう。
イヴァンカ氏のスピーチでは、トランプ氏が目の敵にしているポリティカル・コレクトネスに対する歩み寄りさえ見られた。「女性の取締役の数が多い」などの部分は、トランプ氏本人が実力主義であるとすれば、気にもしない部分だろう。実力主義ならば実力にそって人選が行われているという実情が大事なのであって、その結果採用された女性の数が多いか少ないかは物事の本質ではない。
しかしイヴァンカ氏があえて数に言及したのは、トランプ氏の取り込めていないリベラル層やポリティカル・コレクトネスを重視する層へ訴えかけるためである。
トランプ氏の選挙戦略が潜在的に恐ろしいのは、トランプ氏の過激な発言とイヴァンカ氏の宥和的発言が矛盾せずに両立してしまうことにある。「メキシコとの間に壁を作る」というのは人種差別的発言ではない。メキシコから麻薬業者や犯罪者が国境を超えてアメリカに流れ込んでいるというのは、妄想ではなくアメリカにとって現実的で深刻な問題であり、それに対する国境管理はアメリカの正当な権利である。
こうした問題が実際に存在しないのであれば、トランプ氏は国境閉鎖などの考え方を表明しないだろうし、表明したとしても誰も支持しないだろう。しかし国境管理を「レイシズム」だと嘲笑して軽視した結果は、ヨーロッパに既に悲惨な結果をもたらしている。
このような移民政策がヨーロッパで実行されたのは、移民の安い労働力を求めたグローバル企業とマスコミの癒着が移民政策の欠陥をひた隠しにしてきたことに原因があるのであり、そうした欺瞞に強い不満を持った層の取り込みに既に成功したトランプ氏は、より常識人のイメージのある娘のイヴァンカ氏の助けを得ながら、彼の過激な発言を嫌う層に、彼の移民政策について辛抱強く説明してゆくことだろう。そしてそれはそれほど難しいことではないように思える。
結論
客観的に見て、トランプ氏の選挙戦略は恐ろしいほど機能している。いまだ一部の層に強烈に嫌われている段階で支持率がヒラリー・クリントン氏を上回ってしまうのであれば、トランプ氏の潜在的な支持層はかなりの割合に登ってしまうのではないか。
一方でクリントン氏の選挙戦略は機能不全に陥っている。それはクリントン氏の周りにはあまりに多くの利権があり、有権者の要求に応えるよりはむしろ周囲の利害関係者に配慮しなければならないからである。選挙資金でさえ自前で補っているトランプ氏にはこうした制約はなく、自由に選挙戦略を建てることができる。
端的に言って、クリントン氏はトランプ氏に勝てないだろう。これまでのアメリカ大統領選を支配してきた従来の選挙戦略が完全に機能していない。民主党の既得権益層は欲をかいて、大衆に人気のバーニー・サンダース氏よりも利権重視のクリントン氏を選んだが、今回の選挙はまさにそれが論点であり、その選択を選んだ側が負けるように出来ているのである。
反グローバリズムはマスコミの言うような世界の分断ではなく、政府と国際機関に巣食う利権による政治の終焉を意味している。イギリスのEU離脱で慌てて悲鳴を上げた組織が何処であるのか、人々はよく見ておくと良いだろう。
Brexitは始まりに過ぎない。そして沈みゆく泥船から真っ先に手を引くのは、いつの時代もイギリス人なのである。