7月28日、日銀は金融政策決定会合の結果を発表し、長期金利を操作するYCC(イールドカーブコントロール)の「運用の柔軟化」を決定した。実質的には利上げに該当するのだが、史上例がないほど曖昧な利上げとなっている。以下に説明する。
イールドカーブコントロール
メディアでは一斉に「運用を柔軟化」と報じているが、結局何がどうなったのか分からない人が多いのではないか。長期金利0.5%の上限は結局どうなったのか。
まずは背景の説明だが、日銀はもともと長期金利の目標をゼロに定め、プラスマイナス0.25%の上下変動を許容するという政策(YCC)を行なっていた。
中央銀行は通常短期の金利だけを操作するが、日銀は長期金利も操作しているので、短期から長期までイールドカーブ(利回りを期間順に並べたもの)全体に影響を与える緩和政策ということである。
2021年から始まっている世界的なインフレが日本には2022年辺りから到来しており、インフレ率が上昇するなかで長期金利上限が0.25%というほぼゼロ金利水準に抑えられていた。
これが円安と輸入物価のインフレを引き起こして問題となり、黒田前総裁は退任前に変動幅を0.5%に上げ、長期金利上限を0.5%に引き上げることを余儀なくされた。
インフレ下の紙幣印刷
それが去年12月のことである。だがそれでも日本のコアインフレ率(エネルギーと生鮮食品除く、日銀の奇妙な定義では「コアコア」などと呼ばれる)が現在4.2%であるのに対して、0.5%の長期金利はあまりに低く、極めて緩和的だった。
植田総裁が就任後この長期金利上限をどうするのかということが話題になっていた。量的緩和政策と呼ばれる紙幣印刷政策は行なうのは簡単だが止めるのは難しく、専門家の間では植田総裁の仕事はほとんど不可能なものとみなされている。
緩和政策で経済の本質的な生産性を変えることは出来ない。よって緩和は景気の先食いに過ぎず、マクロ経済学的には緩和で雇用を実現した分、緩和撤回時には失業が姿を現すことになる。
だから日本のように緩和によって長らく雇用を実現した場合、緩和撤回時に現れるのはそれ相応の大量失業ということになる。詳しくは以下の記事を参考にしてもらいたい。
緩和は撤回し始めるまで本当の問題は現れない。前任者の黒田なにがしはそれを知りながらか、あるいはそれを理解する頭もなかったのか、インフレの状況下において紙幣印刷を行ない続け、国民がインフレで苦しむ中でインフレに放火しながら「インフレが達成できなかったのが残念」と言い残して去っていった。
この日銀の態度を債券投資家のジェフリー・ガンドラック氏などは次のように賞賛している。
日銀は賢明だ。80階の窓から飛び降りて、70階分落下したところで「今のところは良い状態だ」と言っているようなものだ。
インフレが実現し、あとに残されたのは10階分の落下だけである。
植田総裁の就任
インフレ政策を喜んでいるのはもはや盲目な信者だけだ。元々次期総裁の本命として挙げられていた黒田時代の副総裁たちがこぞって総裁就任を拒否したのは、彼らもこの仕事が無理であることを知っていたからである。
自分でやったインフレ政策でありながら酷い話なのだが、ともかく植田総裁は彼らに代わって引き受けた。
植田氏にとって幸運であったのは、就任がドル安の時期と被ったことである。去年の秋からアメリカのインフレ率が下落しているので、アメリカの利上げも天井が見えてきたことからドルは半年以上下落しており、よってドル円は去年の秋から上昇が抑えられている。
これで世間的には円安は止まったかのように見えるわけだ。だがこれは円安の停止ではなくドル安になっただけであり、例えばユーロ円を見れば円安が止まっていないことが分かる。
為替レートの上昇はそのまま輸入物価の上昇なので、このチャートの上昇はそのまま、国民が苦しむ中で日銀が引き起こしたインフレそのものである。
だがともかく植田総裁が半年間何もせずに居られたのは、ドル側の要因が幸運だったからである。
遂に動いた植田総裁
だが結局のところ、4%のインフレで長期金利をゼロ近辺に固定する緩和政策は完全な自殺行為である。
インフレ政策がインフレを引き起こした後も化石として存在し続けているインフレ主義者が何を考えていたかは知らないが、マクロ経済学者のラリー・サマーズ氏も言っていた通り、植田総裁が遅かれ早かれ長期金利上限を引き上げなければならないのは、専門家には自明のことだった。
それで筆者やスタンレー・ドラッケンミラー氏を含め、長期金利の上昇に賭ける日本国債の空売りをしていたファンドマネージャーが多いわけである。
ドラッケンミラー氏は次のように述べていた。
日本国債のトレードが報われるとは限らないが、少なくともリスク・リワード比は馬鹿げているほど良い。
何故なら日本国債の空売りは損を出す可能性がほとんどないトレードだからである。詳細は以下の記事を参考にしてもらいたい。
そして当然だが、植田総裁は今回そのシナリオに沿わなければならなかった。だが今回のYCCの「運用の柔軟化」はなかなかに曖昧である。
植田総裁の「運用柔軟化」
結局植田氏は今回何をしたのか。まず長期金利について、元々の目標値だったプラスマイナス0.5%は「目途」と表現されている。そして新たに1%を「厳格に抑制する」水準として追加し、これを越えることはないように長期金利をコントロールするそうである。
砕いて言えば、長期金利はプラスマイナス0.5%を一応目標とはするが、厳格な水準とはせず、プラスマイナス1%を厳格なコントロール水準とする、ということだろうか。
ちなみに長期金利は会合後、「目途」である0.5%を超えてじわじわと0.57%まで上がっている。
結局厳格なコントロール水準は1%ということで、0.5%とは一体何なのかまったくはっきりしない曖昧な政策決定である。
だが筆者のようなトレーダーの立場から見れば、何故植田氏がそうせざるを得なかったのかが分かる。
上でも言ったように黒田なにがしから植田氏へと押し付けられたイールドカーブコントロールの撤廃という後始末は、80階から落下してあと10階分しか残っていないような状況である。
この状況で一番危惧されるのは、将来的に日銀の国債買い支えがなくなると予想するトレーダーが大挙して押し寄せ、日銀が高値で買ってくれるうちに売ろうとし、日本国債が売り浴びせに遭うことである。自民党を支持する馬鹿たちは「ヘッジファンドが日本に対して云々」と言うだろうが、値段が下がることが分かっている資産を売るのはすべての投資家の自然な行動である。
国債にとって金利上昇は価格低下を意味するので、金利が0.5%から1%、1.5%、2%というようになっていくのであれば、売り手としては0.5%で買い支えてくれている間に売りたいのである。
だから単に金利上限を0.5%から1%に上げると言った場合、将来的に1.5%に上限が上げられると予想した売り手が殺到する危険がある。
だが0.5%を曖昧な「目途」として残したことによって、上限の明確な押し上げではなく、上がったのか上がっていないのか分からないような状況を作り出し、いわゆる連続利上げを想定させないようにしたのである。
結論
今回の植田氏の決定について筆者の個人的な感想を言えば、インフレを引き起こしたインフレ政策の後始末という無理な仕事を押し付けられた中で、連続利上げを想定させないように植田氏がまあよく考えたやり方だと言うべきなのだろう。
だが金融市場、特に債券市場は勘定で動くので、結局0.5%が意味のある目途なのかどうかは、日銀の今後の日々の国債買い入れ額によって明らかになってしまう。0.5%水準での買い入れがなければ、結局は上限を1%に引き上げたのと同じになる。
言葉を曖昧にはした植田氏だが、日銀の実際の行動によってその意味は結局明確にならざるを得ないのである。
工夫は評価しよう。だが結局は、サマーズ氏の言葉に代表されるように、日銀はゼロ金利政策の解除に動かざるを得なくなっているという長期トレンドは変わらない。通貨暴落とインフレを引き起こしたアベノミクスの低金利政策は終わったのである。
そして最終的にはどうなるのか。植田氏には申し訳ないが、やはりこれは無理な仕事であり、日本経済にとって良い結果にはならない。他の専門家の意見も参考にしてもらいたい。