日銀の白川元総裁が経済学者サマーズ氏の講演で非常に興味深い質問をしていた

さて、これまでアメリカの元財務長官で経済学者のラリー・サマーズ氏のPeterson Institute for International Economicsにおける講演の内容を報じてきたが、実はこの講演に黒田氏の前に日銀の総裁だった白川方明氏が出席しており、サマーズ氏に向けてなかなか面白い質問をしていた。この記事で紹介したい。

質問タイムに白川氏登場

このサマーズ氏の講演についてはこれまでの記事で取り上げている。

だがこの講演を聞いていて驚いた。講演後に当てられた質問者の中からいきなり次の声が聞こえてきたからである。

白川方明です。日本銀行の元総裁です。

だがこの質問が秀逸だった。

白川氏の質問は中央銀行のインフレ目標に関するものである。中央銀行は一般に2%のインフレ目標を掲げることが多いが、実はこの2%という数字には大して根拠がない。

もう誰でも分かっていると思うが、アベノミクスが何年もの紙幣印刷によって目指してきた「インフレ」とは「物価上昇」という意味であり、それ以外の意味はない。物価が上昇するのは今のように需要に対してものが不足するような状況であり、インフレ政策の支持者たちはものが不足する状況が良いなどとよくも言ったものだ。

実際には、政治家がインフレを目指した理由は、インフレが良いものだからではない。その理由は別にある。

だが白川氏はアベノミクス以前の最後の日銀総裁である。白川氏はアベノミクスのリフレ政策を受け入れることを拒否し、政治的都合で紙幣印刷をやりたがった安倍氏によって日銀総裁の座を降ろされた。

インフレターゲットの意義

その白川氏は、完全に政治的な産物であるインフレターゲットを疑問視している。

そもそも、日銀の現総裁である植田氏も言っていたように、インフレ率は0%を上に離れても下に離れても経済にとって非効率となる。需要と供給が合致していない状況が、インフレ率がゼロではない状況だからである。

では何故2%などという話になるのか。インフレ目標にも一応建前上の理屈はある。インフレ率が0%になったとき、金利は0%より下に下げることが難しいので、インフレ率がゼロになると利下げによってインフレ率を操作することが難しくなってしまう。

だからインフレ率は0%ではなく2%にしておこうということだ。インフレ率が2%で金利も2%なら、まだ利下げの余地がある。だが白川氏はリフレ派のこの理屈に異を唱えている。

白川氏の質問

白川氏の議論は、コロナ後のインフレを踏まえたものである。コロナ後のインフレは現金給付が引き起こした。

世界的には、ウクライナ情勢でインフレがどうのというデマは、マスコミの出鱈目を鵜呑みにする日本の素人しか信じておらず、専門家の間ではインフレの原因は明らかなので、白川氏もそれを前提に次のようにサマーズ氏に質問している。

いまや財政政策はインフレ率を上昇させることができるということが良かれ悪かれ証明されてしまった。であれば、インフレ目標に2%の余裕を持っておく必要はないという議論が出来るのではないか? こうした議論についてどう思いますか?

お分かりだろうか。

インフレ政策が遂に引き起こしてしまったインフレは、複数の意味でリフレ派にとって打撃だった。

まず1つは、インフレが起こらない限りいくらでも緩和を続けて良いというのが彼らの主張だった。だがインフレが起こってしまった。

リフレ派の頼みの綱がデフレだったという事実は皮肉だが、白川氏の指摘によれば彼らへの打撃はもう1つある。財政政策でインフレが引き起こせるならば、金利がゼロ以下にならないことを理由にインフレ目標を余裕をもって2%にしておくというリフレ派の議論が根拠を失う。

サマーズ氏の回答

この白川氏の指摘は秀逸である。リフレ派にぶつけたならば彼らはうろたえるだろうが、残念ながらサマーズ氏はリフレ派ではない。

ではサマーズ氏はどのように反応したか。彼は次のように答えている。

その議論は興味深い。主流な議論のほとんどは、インフレ目標を引き上げるべきだというものだ。そういう議論は、景気後退は辛い、景気後退は嫌だと考える人々から出てきている。

あなたは違うことを考えている。財政政策が万能の物価安定ツールで、政策決定者がそれを使う意志を示すのであれば、インフレ目標は2%ではなく1.5%でも良いのではないかということだ。

その議論を試してみるためにあなたを米国議会に招待しよう。

最後の部分はサマーズ氏の冗談だ。痛みを受け入れたくないためにインフレ目標を上げようとしている政治家たちに、インフレ目標を下げる話をすればどうなるかというジョークである。

サマーズ氏は、一通り冗談を言った後、次のように本音を話し始めた。

この件に関するわたしの本音は、インフレ率に数値目標を掲げたことがそもそも間違いだということだ。

ポール・ボルカー氏とアラン・グリーンスパン氏は、ギリシャの神託が理解していたことを理解していた。つまり、誰もがあなたのことを全知全能だと思っている状況下では、曖昧に喋り、あまり喋らず、預言者のように振る舞うべきだ。そうすれば自分の幻想を維持することが出来るだろう。

それが数値目標を設定したり、自分の将来の行動を宣言したりすべきでない理由だ。もしあなたが本当に優れた人物でも、それでも大いに誤る。

サマーズ氏の議論はある意味では的を射ているのだが、しかしこの回答は白川氏の質問に答えられていない。

白川氏の論点は、インフレ目標を公言するべきかどうかではなく、そもそも中央銀行はどのようなインフレ率を目指すべきかというものだからだ。

インフレ目標を数値で公言しなくても、目指すべきインフレ率はあるはずだ。そしてそれが2%である根拠はない。それが白川氏の論点である。

結論

サマーズ氏は自分の回答の弱さを自覚していたのか、次のように続けている。

あなたの議論は意味あるものだ。それはわたしがこれまでにあまり考えたことのない論点を指摘している。

インフレ目標を設定するという前提で話した場合、現在の目標値は、15年か20年前の正しいとされていた目標値よりも高くなるべきなのかどうかは、完全に自明なことではない。

つまり、白川氏の論点がサマーズ氏にとって盲点となっていた論点であったために、頭の中に整理された回答を持ち合わせておらず、論点をずらして回答するほかなかったということである。

これは、日本の金融家が現役最高のマクロ経済学者であるサマーズ氏と対等以上に渡り合った、なかなか稀有な瞬間である。これは現総裁の植田氏に対するサマーズ氏のコメントとは対照的である。サマーズ氏は植田氏について次のように言っていた。

植田氏は日本のベン・バーナンキのような人だと考えられるだろう。

ベンとほぼ同じ時期にMITで学び、論文アドバイザーもベンと同じだった。金融経済学の似た分野を専門とし、同じように学者のソフトな語り口ながら、決断力も持っている。

西洋人の語り口を知っている人であれば、サマーズ氏が白川氏と植田氏のどちらを評価したかは明らかだ。

植田氏に対するサマーズ氏のコメントは、よく知らない人に対する中身のない世辞である。日本がアメリカを追い抜くかと言われたバブルの頃には、アメリカ人はよく日本人を批判した。今ではアメリカ人は中国人を批判するが、日本人を批判することは少ない。後者は脅威にならないからである。

一方でサマーズ氏は白川氏の質問に対してお茶を濁すしかなかった。白川氏は想定した議論が出来なくて不満だっただろうが、サマーズ氏のこの反応自体が賛辞だと思うべきだろう。

事実、白川氏のこの質問は、わたしがこれまでに聞いた、中央銀行家の口から出た考えの中で、一番まともだったかもしれない。

現職の植田氏が、平凡ではありながら最低限のマクロ経済学者としての知識があることも考えると、日銀はノーパンしゃぶしゃぶ省出身の黒田なにがしが特別に無能だっただけで、本当はもう少しまともなのかもしれない。