イギリスのEU離脱でOECDと財務省が化けの皮を剥がされる

イギリスのEU離脱はあらゆる意味で既得権益層へのイギリス国民の反乱である。それは直接Noを突き付けられたEU官僚たちだけではなく、同じような利権団体すべてに対するNoであると言える。そしてその一つがOECD(経済協力開発機構)なのである。

Brexitでイギリスが受ける経済的メリットはいくつかあるが、その一つが租税に関する自由を手に入れるというものである。しかしロイター(原文英語)が報じたOECDの内部資料によれば、OECDはこの動きを好ましく考えていないという。

それも当然であり、BrexitはEUやOECDなど、利権を確保しながら職を得ている人々すべてに対する政治的反動であるからである。OECDはいまや各国の財務省の集まりのようなものであるから、日本人にもその観点からであれば理解しやすいだろう。

そもそもOECDとは何か?

そもそもOECDとは、第二次世界大戦後の荒廃したヨーロッパを支援するためにアメリカが実行したマーシャル・プランを原型としている。当時はロシアの脅威に対抗するためにアメリカがヨーロッパに対して行った経済支援という意味合いだったのだが、現在のOECDの役割のなかでもっとも大きいものは租税委員会である。

OECDの租税委員会は加盟国が税制に関する協調を行うための組織である。協調と言うと聴こえはいいが、各国が自由に法人税などを定めると、自国に事業誘致するために法人税を下げる国が生まれ、そうすると他の国もそれに合わせて減税を行わなければならなくなるため、そうした事態を避けるために低税率国を非難し、加盟国で一致して低い税率にならないようにしようとするのがOECD租税委員会の目的である。

これはビジネスの世界であれば立派な談合である。税率を決める権利は各国にあるはずであり、資金を誘致するために税率を下げることも、税収を増やすために税率を上げることもその国次第であるはずなのだが、OECDはここに競争原理が働かなくなるようにすることで、加盟国全体で高税率を維持し、納税者にとって不利な状況を故意に作り出しているのである。

OECDと財務省

ではOECDは何故そのようなことを行おうとしているのか? それはOECD租税委員会の議長が誰かを考えれば明らかである。

現在の租税委員会の議長は、日本の財務省財務官である浅川雅嗣氏であり、OECDには昔から財務省職員が出向している。OECDは財務省の天下り先の一つなのである。

ここまで語れば財務省とOECD、そしてEUとBrexitの関係が見えてくるだろう。EUで利益を受けているのはEUを実質的に支配しているドイツと、そしてEUで職を得ている職員である。EUにおけるドイツの利己主義が行き過ぎたことでイタリアやギリシャなどの経済は深刻なダメージを負い、またヨーロッパ内に移民問題を引き起こしたことは以下の記事で説明した。

だからイギリスはEUを離脱し、その結果租税を含む様々な自由を得た。上記のロイターの記事ではこう書かれている。

イギリスが多国籍企業の利益に対する減税を行えば、企業はEU内で得た利益に対する節税を行えるというアイデアが、イギリスがEU離脱を決めてから会計士などの間で提案されている。

しかし財務省も同然のOECDにはこれが面白くないのであり、ロイターの報じた内部資料ではイギリスが上記の談合から外れ過ぎないよう釘を差している。

Brexitはイギリスの競争力にマイナスの影響をもたらし、結果としてイギリスはより踏み込んだ減税を考えるようになるかもしれない。イギリスがそのような方向へ向かえば、イギリスはよりタックスヘイブン的な経済になってゆくことになる。しかしそうするためには、イギリスは国内の政治的な抵抗に直面することになるだろう。

「国内の政治的な抵抗」とは何のことか? 当然ながら減税で予算が減ることを嫌うイギリス国内の官僚のことである。

日本で財務省が増税を好むのは、増税で政府の予算が増えれば、その予算の配分を期待して財務省に頭を下げに来る政治家や官僚が増えるからであり、同じような利害関係は何処の国にもあるということである。

誰のための増税か?

こうした増税の企みが一般庶民のために行われていると思っている納税者がいるとすれば、それはあまりにもナイーブである。増税が利権のために行われているのではないと言うのであれば、日本で既に失敗したような消費増税と公共投資の組み合わせなどは行うべきではなく、先ずは消費税を撤廃するべきなのである。

公共投資を正当化できるとすれば、その理由は二つである。一つはデフレ対策、もう一つは所得の再分配であるが、先ずデフレ対策と言うのであれば、消費増税と公共投資の組み合わせは消費者が自発的に行おうとする消費を殺し、その分を公共投資という政府が決めた市場原理に沿わない需要に置き換えるだけであり、デフレ脱却のためには先ず消費税を撤廃してから、それでもデフレならば公共投資を行う、という順にしなければならない。

そして公共投資が所得の再分配になっていないことは、少なくとも日本においては明らかである。アベノミクスの成否は脇に置くとしても、それが貧困層より富裕層を利する政策であったことに異論はない。

だから増税と支出拡大といういわゆる「大きな政府」のアイデアは、日本でもヨーロッパでも納税者のためではなく、貧困層のためでもなく、利権を持った既得権益層のために行われている。日本の経済政策は消費増税を望む財務省と法人減税を望む経団連の談合によって決まるのであり、それが日本経済にとって良いことかどうかなどは関係がない。以下の記事で詳しく書いた通りである。

こうした状況に対してイギリス国民は明確なNoを提示した。だからOECDが悲鳴を上げているのである。利権とは何の関係もない一般国民には実に気味の良いことだが、そうした事情を理解している人々はあまり多くないだろう。

一方で日本人はいまだ従順である。2520億円の新国立競技場のような利権の塊を目の当たりにしても大して声を上げないのだから、既得権益層にとってはあまりにやりやすいことである。

「国境なき自由なEU」や「善良な納税者」などというフレーズでいとも簡単に騙され、EU離脱やパナマ文書を批判する日本人は当分財務省に支配されたままだろう。日本人はイギリスのEU離脱の意味をもう一度考える必要がある。