イギリスのEU離脱(Brexit)問題については以前にも報じたが、6月に入り国民投票の日程も近づいているので、事前の世論調査や関係者の発言など、最新の状況を再びまとめてみたいと思う。
国民投票を取り巻く状況
先ず、投票の日程は6月23日である。元々、国民投票は2017年末までに行われると公約されていたのだが、この日程は残留支持派のキャメロン首相によって前倒しされた。移民問題やテロ事件などの状況悪化により、時間が経てばEU離脱への支持が増えるとキャメロン氏が考えたためである。
事実、EUをめぐる状況は明らかに悪化している。11月にパリで発生した同時多発テロ、大晦日にケルンなど複数都市で発生した移民による集団性的暴行事件、3月にベルギーのブリュッセル空港で起きた爆弾テロ事件など、枚挙に暇がない。
移民による性的暴行事件は恒常化しているようであり、先月にはドイツのミュージック・フェスティバルにて、難民申請者らによる集団性的暴行があったとインディペンデント紙(原文英語)が報じている。合計で30人以上の女性が被害届を出したようだが、これでも大晦日のケルンに比べれば数が少ないのである。
これらの事件に対するイギリス人の反応はどうかと言えば、Daily Mail紙(原文英語)によれば、パリのテロ事件および大晦日の集団性的暴行事件の後、EU離脱への支持者数が増えたとの報告がある。
異文化に対するイギリス人の見方
イギリスは歴史的に文化の違いや階級の違いに対して敏感な国である。イギリスが階級社会だと言えばネガティブなイメージを抱く人がいるかもしれないが、イギリスの階級社会とは、価値観の違う人々を無理矢理に同じ場所に放り込んで対立や紛争を助長するよりは、価値観が違う人々はそれぞれの価値観に基づき別々に生きてゆけば良いという信念に基いている。
だからイギリス人は基本的に移民反対であり、しかもイギリス国内における移民の文化に対しては、同化政策を強要するフランスなどとは違い比較的寛容である。ロンドン市長にイスラム系のサディク・カーン氏が選ばれたことは記憶に新しい。この二つの価値観の組み合わせが重要なのである。
フランスの行っているような移民文化の禁止は受け入れ国に対する憎悪を生むのであり、イギリス人は移民を受け入れた以上は抑圧しない方が上手くゆくことを知っている。しかし同時に、そもそも文化の違う人々を無理矢理に同じ場所で生活させなければ、あまりに多くの問題は元から生じないことも知っているのである。これは日本人も同様であると信じているが、最近の政策を見ているとどうも怪しくなってきている。
このように歴史的に異文化交流に対して深い理解を持ったイギリス人にとって、移民を無差別に受け入れ問題を拡大しているドイツや、受け入れた移民に対して現地の文化を強要するフランスなどのEUの状況がどう映っているのかは想像に難くない。異文化交流に対する適切な理解のない人々が指揮するEUに関わっていれば、問題は悪化する一方だろう。だからキャメロン氏も国民投票を急いだのである。
経済的状況
移民問題も早急の問題であるが、EUの問題はそれだけではない。ギリシャの財政破綻懸念などに代表されるユーロ圏の債務危機問題は一切解決していない。ギリシャには融資を与えて延命させただけであり、融資が切れれば、ギリシャはまた同じ問題に悩まされるだろう。
先ずはっきりさせておきたいのだが、ギリシャやイタリアなど南欧諸国は、共通通貨を通じてドイツの産業に資金を吸収されている。ドイツにとって弱いユーロはドイツの輸出業の助けになるが、南欧諸国にとって強すぎるユーロは、イタリアの輸出業やギリシャの観光業から外貨獲得の機会を奪ってしまう。
更に言えば、ギリシャが財政赤字に苦しんでいるのは、ギリシャ人が怠惰だからではなく、共通通貨ユーロがギリシャにとって高過ぎるからである。何度でも引用するが、経済学には以下の等式が存在する。
- 政府貯蓄 = 貿易収支 + 投資 – 民間貯蓄
この等式は、高過ぎる通貨によって貿易収支が悪化すれば、それは政府財政を悪化させること意味している。これがユーロ圏で起きていることである。ジョージ・ソロス氏なども主張していたように、ユーロによってドイツなどが恩恵を受け、南欧諸国が被害を被っていることに、経済学的には異論の余地がない。
ドイツはメルケル氏のリーダーシップのもとヨーロッパの覇権国(訳注:経済学の術語、ウィキペディア)となったが、しかしドイツは覇権国として得られる利益に対し対価を払わなければならない。ドイツ人が負債についてどれほどギリシャ人を責めようとも、対価を払うべきなのはドイツなのだ。
しかしドイツ人たちは自分たちが利益を受けている経済学的事実を認めず、いまだにギリシャ人を怠惰だと責め続けている。ロイターが伝えている世論調査を引用しよう。
EU加盟によって最大の恩恵を受けている国はどこかとの質問に対しては、英国では「ドイツ」との回答が多かった半面、ドイツとフランスでは「ギリシャ」との回答が目立った。
イギリス人は本当に何処までも状況を正しく判断している。ヨーロッパ大陸にも状況を理解している人々は少数いるが、国民全体でまともな考えを持っている国はイギリスくらいだろう。自分たちが利益を受けながら、その代わりに損失を被っているギリシャを非難するドイツ人はどういう神経をしているのだろう。イギリスはユーロ圏ではないが、ユーロ圏の債務危機に際して資金供出を強要されかけた経緯があり、イギリス人は出来る限りユーロ圏とは距離を置きたいと思っている。
イギリスにおける世論調査の状況
こうした状況にもかかわらず、これまで世論調査では一貫して残留派が優勢となってきた。イギリス人は「出来るならばEUとは関わりたくない」と思っているが、「出来るかどうか」が問題なのである。
イギリスにとって先ず第一の問題は、離脱後にEU加盟国それぞれと自由貿易協定を結び直さなければならないことである。
経済学的にはこれは大した問題ではない。自由貿易協定が互いにとって有益であるならば、EU加盟国かどうかにかかわらず、各国はイギリスと自由貿易協定を結ぶことを望むだろう。スイスやノルウェーも同様のことを行っており、イギリスも前例に従うだけである。
しかしイギリスが離脱を躊躇っているのは、フランスなど残留を望む国々が条約の締結に時間がかかる可能性を示唆していることに加え、アメリカのオバマ大統領までもが「EU離脱ならイギリスとの貿易協定は後回し」と脅しをかけているからである。イギリスが実際にEUを離脱するまでに条約締結が纏まらない場合、イギリスは一定期間自由貿易協定なしで通商を行うことになる。
第二の理由はEU設立の経緯である。EUは実は、第2次世界大戦後にウィンストン・チャーチル氏によって提唱されたイギリス発のアイデアである。世界大戦でドイツに手を焼いたイギリスとフランスは、ドイツをEUの中に閉じ込め、周辺国と同化させることによって戦争を起こさせないようにしようと考えた。
しかしイギリスのこの目論見は失敗したと言える。EUは結局、経済的規模の大きいドイツの発言力が重視されるようになったからである。このままEU諸国の統合が進めば、EUはドイツが率いる一つの大国となるだろう。
それは歴史的にヨーロッパの中でイギリス人やフランス人から無骨な田舎者と蔑まれてきたドイツ人の悲願であり、しかもその願望は第2次世界大戦で「偉大なドイツがヨーロッパを支配すべき」としたドイツ人の政治的傾向と全く同じものである。彼らは何も変わってないのである。EUにおけるドイツの立ち位置については、以下の記事で詳しく説明した。
ドイツの支配傾向がますます強まってゆくとき、イギリスはEUの中にいることでそれを抑えることが可能かもしれない。EUを離脱し外に居る場合には、島国イギリスは中国に対する日本と似た立場に立たされるだろう。この状況を懸念したエリザベス女王は「EU離脱は危険であり、警戒しなければならない」と異例の政治的発言をした。チャーチル氏が首相だった頃から王位にいる女王がこれを言うことにはそれなりの重みがあるのである。
結論
さて、国民投票がどうなるかと言えば、個人的にもやはり残留の可能性が少しだけ大きいのではないかと思う。もともとこうした投票は現状維持派が有利なのである。国民はリスクを嫌う。だから世論調査が拮抗している場合、土壇場で離脱に投票しない国民が出てくる可能性は高い。
しかし、それでも6月に入ってからは世論調査でも離脱派が盛り返しているようである。ロイターによれば、6月6日の世論調査で離脱支持が45%となり、残留支持の41%をついに上回った。これを受けてキャメロン首相は緊急の記者会見を開き、「国民は間違ったことを伝えられている」「独立した専門家の見解と離脱派の誤った主張に大きな相違がある」(産経)と主張した。これまで優勢だった残留派の態度としては、キャメロン氏の慌てぶりはやや意外であった。もしかすると本当に投票は拮抗するかもしれない。
イギリスがもし離脱を選んだとなれば、イギリス自体に対してよりもEUに対して大きな意味を持つ。個人的には、明らかに失敗しており、しかも特定の国の悪意があるEUの政策に対して、誰かが大きなNoを突きつける必要があると考えている。そうすればギリシャやイタリアの扱いがより公平になるかもしれない。イギリス国民の理性と常識がどういう判断をするか、部外者として眺めさせてもらおう。