ドラッケンミラー氏、ドットコムバブル崩壊で大損してクォンタム・ファンドを辞める羽目になった時のことを語る

ジョージ・ソロス氏が創業したクォンタム・ファンドを運用していたことで有名なスタンレー・ドラッケンミラー氏が、彼がクォンタム・ファンドを辞めるきっかけとなった2000年のドットコムバブルでのトレードについて語っている部分を、Sohn Conferenceでのインタビューから紹介したい。

ドットコムバブルの隆盛

話はドットコムバブル崩壊の前年から始まる。ドラッケンミラー氏はこう語っている。

1999年の3月だったと思うが、クォンタム・ファンドに居たとき、10銘柄ほどのインターネット関連株を空売りするという素晴らしいアイデアを思いついた。それらの株は7倍か8倍に上がっていた。

だから2億ドル分空売りした。

しかしそれは、ドットコムバブル崩壊の前年の3月である。彼はこう続ける。

すると4週間のあいだでその2億ドル分の投資は6億ドルの損失を出した。言い間違いではない。投資した額の3倍の損失だった。2億ドルの株が8億ドルになったところで空売りを手仕舞ったからだ。

空売りした株が4倍になったので、3倍分のマイナスになる。それが空売りである。

それまで輝かしいリターンしか出したことのなかったドラッケンミラー氏は、それでかなり凹んだらしい。彼はこう言っている。

このことでかなり傷ついた。15%前後のマイナスリターンを出していた。これまで2桁のマイナスになったことはなかった。

わたしは憔悴していたが、数ヶ月ほど一歩引いて考えてみると、アジア通貨危機の影響でグリーンスパン(訳注:当時のFed議長)が巨大な緩和政策を行なっており、しかも米国内には危機はなく、その資金がインターネット関連の技術革新に流れ込んでいるということに気付いた。

君子豹変する

それがバブルであったとしても、バブルはバブルが終わるまで続く。だからドラッケンミラー氏はこのバブルに乗ることにした。

それで「何てことだ、この流れに乗らないと」と思った。そしてハイリスクの投資を好む20代の2人の若者を雇った。若者であればわたしが綴りさえも分からないような新しい会社に詳しいだろうからだ。

20代の若者を雇うのはクォンタム・ファンドの伝統なのだろうか。創設メンバーのジム・ロジャーズ氏も同じようなことを言っていた。

ドラッケンミラー氏はこう続ける。

それでその夏に、16%程度のマイナスリターンの状況から、このバブルに乗る形に方向転換した。そしてその年のリターンはプラスの42%になった。

投資の世界では「君子豹変する」と言い、これまでの自分の相場観を全否定するような大幅な方向転換であっても、それが正しければ躊躇ってはならない。

新しい情報がいつも入ってくるのであり、どちらにしてもいつかは別のシナリオに移行しなければならない。だから筆者は躊躇うどころか、豹変するタイミングこそが利益の源泉、損失の最小化だと考えている。

そしてこの時のドラッケンミラー氏はそれを見事にやり遂げた。そして次のように続ける。

その後1月にジョージのところに行って、「これは狂気的なバブルだ、ハイテク株は全部売る」と言い、すべて売った。それが1月だ。

見事な豹変なのだが、それで何故クォンタム・ファンドを辞める羽目になったのだろうか? この話には続きがある。

再び君子豹変する

それは、ドラッケンミラー氏がやってはいけない豹変をその後にやってしまったからである。

彼の話はこう続く。

2人の若者はまだ会社にいた。社内の小さな口座でトレードしていたが、彼らの好調不調によってわたしは彼らのポジションのサイズを変えることができた。

「まだいた」という表現が面白い。実際にはバブルが終わってしまうと彼らは用済みになってしまうからである。

しかし1月の段階でバブルはまだ終わっていなかった。ドラッケンミラー氏が手を引くと判断しただけである。当時のNasdaqのチャートを掲載してみよう。

そして、2人の若者はまだトレードしていた。

ドラッケンミラー氏はこう続ける。

彼らは毎日8%のリターンを出していた。それがわたしを狂わせた。わたしは何もしていなかった。

隣のデスクで毎日8%利益を出している部下の横で数ヶ月何もせずに過ごしていたわけである。

2000年3月、小さな悪魔がわたしに「やれ! やれ!」と囁いた。もう1匹の小さな悪魔が「やるな! やるな!」と囁いた。

結局ドラッケンミラー氏はどうしたのか? 彼は次のように続けている。

多分それはこのバブルの大天井の1時間後だったと思う。

わたしは60億ドルつぎ込んだ。そして20億か30億の大損失を出した。

クォンタム・ファンド退社とその後

それからどうしたのか。ドラッケンミラー氏は次のように語っている。

わたしのメンタルは崩壊していたし、自分はそれを自覚していた。

だからソロスのところに行って、「辞める、自分には休憩が必要だ、疲れ切っている」と言った。

それでドラッケンミラー氏は投資家にとって必要なことをした。彼は次のように続ける。

そして子供を連れてアフリカに行った。テレビや新聞のニュースを見ないようにしていた。だからその間相場のことは何も知らなかった。

それは本当の休暇だった。若い投資家にもそう薦めるが、休むときには本当に休むべきだ。調子の悪い時にトレードを続けて失敗を重ねてはならない。

しかしドラッケンミラー氏は帰ってきた。彼はこう続ける。

9月の最初には帰ってきた。子供が学校に行かなければならなかったからだ。

彼がクォンタム・ファンドを辞めたのが4月のことなので、5ヶ月ほど休んでいたことになる。そして彼は仕事に戻った。

妻もわたしにずっと家に居てほしくはなかっただろうから、仕事をすることにした。

新聞を開いて驚いた。Nasdaqは下落の大半を回復し、S&P 500は市場最高値付近まで戻っていた。

彼が崩壊したと思っていたバブルは、彼がアフリカに行っている間にある程度値を戻していた。

しかしバブルの頂点というのは経済の様々な部分に限界が来ている時でもある。復帰したドラッケンミラー氏はどうしただろうか? 彼は次のように説明している。

「調子が悪い時にはトレードしない」というのがわたしの投資ルールの1つだが、わたしは休息を取った。頭はクリアだった。

アメリカは景気後退に突入し、グリーンスパンの金融引き締めは方向転換せざるを得なくなるという考えに魅せられた。だから全運用資産の350%を10年物国債に投入した。

2000年のリターンは諦めていたし、ついにマイナスリターンで年を終わるのだと思っていたのだが、端的に言えば、その年の第4四半期に40%の利益を出した。

結論

ドラッケンミラー氏は以前次のように言っていた。

投資とは自分が正しいか間違っているかではなく、自分が正しいときにいくら儲け、間違った時にいくら失うかなのだ。

この言葉を象徴するようなエピソードではないか。ドットコムバブルの大天井に捕まったにもかかわらず、それよりも大きい利益を出すことによってその年のリターンをプラスに戻した。

そして重要なのは、バイアスに囚われないこと、バイアスに囚われている時に囚われていることを知ること、自分が調子が悪い時に調子が悪いと知ることである。

例えば最近のロシアルーブルの回復などは、大勢の人々がバイアスによって物事を読み間違えた典型例だろう。

多くの人は自分のバイアスに気付いていない。ニュースを見て間違ったことを好き放題に言っているだけならば、井戸端会議で自分の無知を晒すだけのことである。だが市場ではそれは命取りになる。

ドラッケンミラー氏は自分を客観的に見ることの重要性を説いている。