ジム・ロジャーズ氏: アメリカの市民権を得るべきでない理由

ジョージ・ソロス氏とともにクォンタム・ファンドを創設したジム・ロジャーズ氏がNomad Capitalistのインタビューでアメリカのパスポートについて語っている。

アメリカの市民権

投資家の中には世界中の国から自由に自分の居住国を決める人もいるだろう。世界には数多くの国があるのだから、今住んでいる国よりも快適で住みやすく、政治も馬鹿げていない国があるかもしれない。

移住を考える世界中の人々の中でアメリカは人気の国だが、アメリカに生まれてシンガポールに移住したロジャーズ氏に言わせると、アメリカのパスポートを持つことはお勧めしないという。

多くの人々がアメリカのパスポートを入手したいと思っていることは分かっているが、客観的にメリットとデメリットを考えればアメリカのパスポートはあまりお勧めできないと専門家は言うだろう。

アメリカ人であるロジャーズ氏がアメリカの市民権をお勧めしない理由は何か。ロジャーズ氏は複数理由を挙げるが、1つは税制である。ロジャーズ氏は次のように言う。

理由は数多い。1つは税制で、世界中のほとんどの国よりも馬鹿げていて最悪だ。

ロジャーズ氏がシンガポールに移住した理由の1つも税制だろうか。しかしロジャーズ氏は次のように続けている。

アメリカ国民である限り何処に居住しているかは問題ではない。地球上何処にいてもIRS(アメリカ国税局)があなたを放ってはおかないだろう。アメリカに全く行きもしないとしても、アメリカ国民である限り彼らはあなたにアメリカの税金を払わせる。

日本人はあまり知らないかもしれないが、アメリカ国民はアメリカに住んでいなくともアメリカの税金を払わなければならない。

海外の税制に詳しくない読者も多いだろうから補足すると、普通の国はここまでしない。他の国に住んでいて、自国の公共サービスを受けていないならば、税金は自国ではなく公共サービスを受けている居住国で払うというのが普通である。

しかしアメリカの市民権を持っていればそうはいかない。アメリカのパスポートを持っている限り、何処の国に住んでいてアメリカの公共サービスに一切関わりがなくとも、アメリカにもう何十年も行ったことさえなくとも、アメリカに税金を払わなければならない。ロジャーズ氏が自虐的に言っているのはそういうことである。

そこで海外に長らく居住するアメリカ人はアメリカ国籍を放棄したいと考える人が多いのだが、アメリカ国籍を捨てようと思えば今度は出国税がかかる。IRSは地の果まで追ってくるのである。

IRSが苛酷な理由

こうした税制には一切道理がない。アメリカに何十年も行っておらず、アメリカの公共サービスから恩恵を受けていないにもかかわらず税金を払わせ続ける理由は何だろうか? 要するに税金に道理などないのであり、政治家が自分の好きに金を使うためには金を吸い取る対象が必要となる。日本人が所得税と社会保障と消費税を合わせて所得の半分以上を政治家に持っていかれている状況も道理のないことである。

そしてアメリカの国税局は自国民に対して容赦がない。IRSの態度は、自分の奴隷は絶対に逃さないという政治家の意志の表れである。

自国民に手錠を付けているようなものであり、その根幹にあるのはソーシャルセキュリティーナンバー(社会保障番号)で国民の資産を管理する制度である。日本の与党はこれを真似してマイナンバーを作り、日本の国民はそれを支持した。自分から手錠に掛けられに行っているようなものである。どうぞ東京五輪に使って下さいということだろう。

多くの読者にはあまり関係がないことだろうが、海外居住者の中ではこうした理由でアメリカの市民権とはうっかり取ってしまってはいけないものとして有名である。一旦取得したら最後、地の果てまでIRSが追いかけてくる。IRSのくびきから人々を守ろうとしたスイスの業界はIRSに完全に壊滅させられた。これも業界では有名である。

結論

また、ロジャーズ氏は税制以外にもアメリカのパスポートがあまり良くない理由を自虐的に語っている。

もし飛行機でテロリストに出くわしたとしよう。彼らはパスポートを見せろと要求している。どう考えてもアメリカのパスポートを見せたくはないだろう。真っ先に飛行機から放り投げられる。

興味深いことに、アメリカ人は自国の評判が必ずしも良くないということをあまり理解していない。ロジャーズ氏は稀有な例である。

彼らは自国が中東で何をやっているのか知っているのだろうか。ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだのは他国から見れば完全に自業自得であり、それに追従したがる自民党は日本にたくさんの飛行機を呼び寄せるだろう。そしてそれも日本人の自業自得である。

日本の選挙については1つだけ言っておこう。日本人はまさに自分に相応しい政党を選んだということである。多くの日本人が小室眞子氏を批判するのは、自分に似ているからではないか。