アメリカの元財務長官のラリー・サマーズ氏は、先進国が長期的な低成長トレンドに陥っていると主張する長期停滞論で知られるマクロ経済学者だった。しかし今では物価高騰を警告する急先鋒として知られている。
これまでにもここではサマーズ氏の議論を紹介しているが、長期停滞論はどうなったのかという疑問は読者の頭にもあっただろう。サマーズ氏と言えば長期停滞論だったからである。
そこで今回はサマーズ氏がコロナ後の経済と長期停滞論について語っているNoahpinionによるインタビューを紹介したい。
長期のインフレ要因
サマーズ氏は先ずいつものようにインフレ的要因を列挙している。
雇用主への聞き取りによれば、求人数や離職率は記録的な労働力不足を示唆している。
賃金上昇は一度始まったら非常に止まりにくいトレンドだが、それが始まろうとしている。
家計の最大の支出である住宅にも同じことが言える。指数の欠陥なのか遅延なのかは分からないが、住宅はインフレの指数を押し下げている。しかし現実には住宅価格にしろ賃料にしろ、家計の4分の1を占めるものが2桁パーセントの上昇を見せている。
労働者が働きたがらないというのがコロナ後のアメリカの最大の問題である。債券投資家のジェフリー・ガンドラック氏によれば、コロナ後に失業保険を充実させ過ぎたせいで労働者が働いて給料を貰うよりも失業して失業保険を貰いたがっているのだという。
マクロ経済学者にはよく知られていることだが、賃金の上昇はなかなか止まらないトレンドである。住宅価格もまた止まりそうにない勢いで上昇している。
インフレには現金給付の影響や、東南アジアの工場がコロナで動いていない影響で半導体が不足しており、自動車の価格が高騰しているという短期的要因もあるが、上記の要因はむしろ長期的なものなのである。
長期停滞は吹き飛ぶ
サマーズ氏のここまでの議論は理解できるものだろう。しかし長期停滞論はどうなったのか? 今回のインタビューでは、サマーズ氏がこの問題に言及している。彼は次のように説明している。
財政赤字が2桁の数字になり、中央銀行が巨額の債券買い入れを続け、記録的な求人数がこれからも続くならば、長期停滞は起きない。
長期停滞というのは、貯蓄と投資のギャップが恐らく3%程度で財政赤字が通常の水準である状態での話だった。財政赤字が2桁になれば当然この前提は吹き飛ぶ。
長期停滞論で知られるマクロ経済学者サマーズ氏が「長期停滞は吹き飛ぶ」と言ってしまった。
「貯蓄と投資」とはマクロ経済学の用語である。貯蓄は経済活動後の経済全体の取り分のうち使われず貯蓄されるものを示し、投資とはいくらが経済活動に投資されたかを示している。
コロナ後の経済では政府が巨額の資金をばら撒いたため、合計では貯蓄よりも投資にお金が回っており、つまりは財政赤字が投資を増やしてインフレを導く状況をサマーズ氏は指摘しているのである。
足元の見通し
しかし長期停滞を覆す前提は持続するだろうか。サマーズ氏は足元の経済については次のように述べている。
中期的には分からない。市場でマイナスの実質金利が予想されていること、減りはしたがいまだ大きい財政赤字、過熱していない経済などを考えると、長期停滞への後戻りか、少なくとも多額の貯蓄をどうするのかという問題には直面するのだろう。
つまり、インフレに警鐘を鳴らしているサマーズ氏も、現状がこのままならば長期停滞に戻るということを認めていることになる。
これは結局、サマーズ氏やジェフリー・ガンドラック氏らインフレ論者であっても、追加の財政刺激(特に現金給付)がなければ長期停滞に逆戻りする可能性を認めているということである。
ここの記事ではここ最近ずっと短期デフレ相場のことを取り上げてきた。今年3月の現金給付が短期的にインフレを持ち上げた分が剥落し、ここ最近ではインフレが減速している。
この短期デフレ相場はそのままいつもの長期デフレ相場になってゆくのだろうか? しかしこれは、追加刺激がなければという前提があることを忘れてはならない。
追加刺激がなければインフレは沈むだろう。しかしガンドラック氏の言うように、経済成長はそれ以上に沈むに違いない。特に2021年の経済が現金給付で持ち上げられたことを考えれば、2022年のアメリカ経済は前年比の数字で景気後退に陥る可能性も少なくはないだろう。
そうなった時にバイデン政権はどうするだろうか? ただでさえアフガニスタン撤退で支持率が下がっているのに、そのまま景気後退を受け入れながら来年11月の中間選挙に向かうか? それとも追加緩和を行うだろうか?
バイデン氏が後者の選択をするとき、サマーズ氏の懸念が現実のものとなるのである。
インフレ相場でこれまで金属や農作物などのコモディティ価格が上がっているが、本当のインフレ相場はまだまだ始まってもいない。アメリカ政府がインフレの危険を知りながらも追加緩和を行わざるを得なくなるとき、本当のインフレ相場が始まるのである。一部の投資家はそこまで見通して相場を考えている。
それまでは短期デフレ相場が続きそうである。中央銀行はテーパリングに及び腰になりつつあるが、どうなるだろうか?