ドラッケンミラー氏: 上がった株を買いたくなるのを抑えろ

引き続きThe Hustleによるスタンレー・ドラッケンミラー氏のインタビューである。今回はドラッケンミラー氏がトレーディングの精神論について語っている部分を紹介する。

トレーダーの精神論

トレーディングは勿論技術的なものもあるが、優れたトレーダーならば誰もが何らかの精神論を持っている。ドラッケンミラー氏は次のように述べる。

投資家は自分を律さなければならない。投資家は常に自分の感情と戦っている。例えばわたしの最初の上司は言ったものだ。「株は上がれば上がるほど安く見える。」

何かが明らかにおかしいのだが、誰もがこの経験をしたことがあるはずだ。

上がった株を見れば買いたくなり、下がっている株を見れば売りたくなる。経験のある読者もあるかもしれない。しかし他の条件が同じならば、価格の低い株は魅力的であり価格の高い株は魅力が少ないのではないか? ドラッケンミラー氏はこう続ける。

これは論理的におかしい。しかし証券が値上がりすると、体の中のすべての骨がそれをもっと買いたいと叫び出す。下がった時には衝動売りしてしまわないように戦う必要に迫られる。これは動物的な習性なのだ。

同じことをBridgewaterのレイ・ダリオ氏も言っていた。彼の言葉をもう一度引用しよう。

最悪の考え方とは、「この資産はこれまで良いパフォーマンスを上げているから、この資産はこれからも良い投資なのだ」と考えることだ。価格がこれまで上がったというのは多分、より割高になったということだ。

逆に大きく下がった資産があったとすれば、その資産のバリューが上がったことを意味するかもしれない。

しかし多くの個人が高値で買って安値で売る。彼らは株が安い時には株の話をそもそもしない。高値になってから市場に参入し、暴落した後に売ることになる。

売り時の決め方

値段が上がっているから買い、下がっているから売るというのが良くないアイデアだとすれば、投資家はどうすべきだろうか? ドラッケンミラー氏は次のように説明する。

だからその証券をどういう理由で保有しているのか常に自分に問い続ける必要がある。

ただ価格が下がっただけであれば、必ずしも売らなければならないわけではない。下落したなら、自分の理論を再評価してみる必要がある。でも売らなければならないわけじゃない。そして上がったからといって熱狂しないことだ。

また、株価が一定水準まで下落した場合に自動的に売却するストップロス(逆指値)注文について次のように述べている。

ストップロス注文は使ったことがない。一度もだ。ストップロス注文はこれまでに聞いた中で一番愚かなアイデアだ。株が15%下がったら自動的に市場から追い出される。

ちなみに筆者もストップロス注文を使ったことがない。もし他の条件が同じならば、株が安くなったということはより魅力的になったということである。

つまりストップロス注文とは株がより魅力的になった時に自動的に売るアイデアであり、半ば冗談で規制当局の友人にストップロス注文を禁止すべきだと言ったこともある。市場暴落時にはストップロス注文はしばしば設定した価格を大幅に下回る価格で約定される。今後も筆者がストップロス注文を使うことはないだろう。

ではどうやって売り時を決めれば良いのか? ドラッケンミラー氏は損切りの基準を次のように語る。

その株を買った理由がなくなった時、その株にはもうこだわらない。それは売り時だ。

自分に何かアイデアがあり、それが正しくないと判明した時、ポジションを閉じて次に行くべきだ。わたしはしばしば間違うので、これはしばしば起こる。

含み益、含み損

ドラッケンミラー氏の話はある程度の経験のあるトレーダーなら頷けることが多い話だろう。しかし筆者が一番重要だと思うのは次の発言かもしれない。

含み益になっているか含み損になっているかは問題じゃない。株式はあなたが得をしているか損をしているかを知らない。

それは重要じゃないんだ。投資に自分のエゴは重要じゃない。重要なのはその株で儲けられるかどうかだ。

ここまでの話は多くの人が頷けただろうが、これはどうだろう? 多くの人が思うだろう。「この株は買ってから10%も下がっている。出来れば含み損がなくなったところで売りたい。」「この株は買ってから30%も上がっている。まだ上がるかもしれないが、もう売っても良いのではないか。」

しかしこの考え方は間違っている。どちらの例でも自分の買い値は関係がない。そこから上がるならホールドすべきであり、下がるなら売るべきなのである。いくらで買ったかは関係がない。考えてみれば自然な考え方なのだが、実践できている個人投資家は少ない。

ドラッケンミラー氏のような人のトレーディング論は参考になる。以前のレイ・ダリオ氏の記事も未読の読者は参考にしてもらいたい。