ユーロ問題の文化的背景: ドイツの外交音痴が治らない限りユーロ圏はギリシャ問題を何度でも繰り返す

ユーロ問題の経済的背景については何度も書いてきたから、今回はその文化的背景について書いておこうと思う。メインテーマはドイツの外交的・歴史的立場についてである。

ヨーロッパ文化におけるドイツ

古来よりヨーロッパ文化の中心はイタリアであり、フランスであり、イギリスであった。ヨーロッパの料理はイタリアを起源とするものであり、フランス人がそれを継承してイギリスの宮廷に持ち込んだ。ドイツやオーストリアでも、宮廷ではフランス料理が振る舞われた。

音楽ではモーツァルト、ベートーヴェンの時代においてもイタリアのオペラが尊敬されていた。モーツァルトのオペラにイタリア語のものとドイツ語のものがあるのは、彼の時代においても、ドイツ語は歌謡としてはあまりに粗野であるという認識が、ドイツ語圏の宮廷内にあったためである。

そのため、フランスやイギリスの宮廷では、ドイツ人、とりわけ優美なハプスブルクと敵対するプロイセンは、礼儀作法や文化的素養のない国民として一段下に見られていた。

したたかなイギリス

イギリスにおいては、プロイセンは警戒の対象であり、また利用できるならば利用する対象でもあった。プロイセンのフリードリヒ大王が軍国主義的野心からオーストリアに攻め入ったオーストリア継承戦争では、イギリスはオーストリアに味方している。

一方で、素朴なドイツ人は外交的なイギリス人には格好の利用対象であった。ナポレオン戦争では、プロイセン軍はイギリスのウェリントン公爵に良いように使われた。

ナポレオンが敗北するワーテルローの戦いの数日前、フランスはリニーにおいてプロイセン軍に勝利しているが、ナポレオンがイギリスよりも先ずプロイセンを叩いたのは、プロイセンが攻撃を受けてもイギリスは彼らを助けないだろうが、イギリスが攻撃を受ければプロイセンは救援に駆けつけると読んだからである。

事実、リニーの戦いではイギリスはプロイセン救援に現れず、数日後のワーテルローの戦いではイギリスがナポレオンに勝利したが、これはウェリントン公爵が、残存していたプロイセン軍が救援に駆けつけるとの前提のもとで作戦を立て、そしてプロイセン軍が実際に救援に来たことによってもたらされた勝利であった。ドイツ人はイギリス人に良いように使われていたのである。

近年では、中国のAIIB(アジアインフラ投資銀行)においても、イギリスが真っ先に参加に手を上げ、ドイツなどの欧州諸国がそれに続いたが、出資比率ではドイツが4位、イギリスは10位となっている。

イギリスは最初に参加したことで中国に恩を売ったが、資金自体は、バスに乗り遅れまいとするドイツに出してもらえということである。イギリスのしたたかさとドイツの純朴さは、今も昔も変わっていない。

ドイツ文化の巻き返し

しかしながら、文化的にはモーツァルトやベートーヴェンの音楽を始点として、ドイツ文化は着実に巻き返しを図る。これらの作曲家と同じ時代には、詩人のゲーテとシラーがいる。ゲーテはナポレオンの愛読する詩人であったなど、この頃においてはドイツの文化は着実に一定の敬意を集めていた。

それでもフランス人やイギリス人が重視するのは、外交や社交の場における礼節に則った振る舞いであり、ドイツの芸術が花開いたあとも、プロイセン人が本当の意味でフランスやイギリスと同列に扱われることはなかった。ドイツ人のコンプレックスはこういう文化的背景に起因しているのである。

ドイツ人のコンプレックス

ドイツ人は、偉大なドイツの文化にもかかわらず、フランスやイギリスと対等になれていないことに不満を抱いていた。フランスやイギリスの文化を敬いながらも、自分たちも同等以上のものを持っていると心の底では考えていた。これがついに爆発したのがナチス・ドイツにおけるドイツ人至上主義である。

ナチス・ドイツでは、アーリア人なるものが至上の人種であるとされた。これは主なドイツ人を指しているとされたが、現在のドイツとはプロイセンを中心とする多民族、多国籍の連邦国家であり、ドイツ語という共通点以外、そもそもドイツ人という人種は存在しないのであり、いわばアメリカ人は主に英語を話すから一つの人種であると言うようなものである。

このような無茶な理屈で自分たちの人種を肯定しなければならなかったのは、ドイツ人が自分たちの文化を正当に評価してほしいと思い続けていたからであり、しかしこれは、第二次世界大戦の敗北で元の木阿弥となる。

世界大戦後の自虐史観

面白いのは、現在のドイツ人にドイツ人であることを誇りに思うかと聞けば、過剰な拒否反応が返ってくることである。彼らは皆、「歴史的経緯から自国を誇りに思うのは難しい」と言う。

軍国主義的方法で欧州を征服することを諦めた彼らは、別の方法で本当の意味でのヨーロッパの一員となることを目指している。すなわちユーロ圏の盟主としてのドイツである。ドイツ統一において多国籍連合を志向したプロイセンの本質は、今も変わっていないのである。

しかしながら、共通の財務省を持たず、債務危機に陥った国の債務減免も認めずに、ユーロ圏を維持することは不可能である。ユーロ圏は、共通の債券としてのユーロ債の発行か、債務危機による加盟国分裂かのどちらかに必ず行き着く。

外交的にしたたかなイギリスならば、このような無謀な計画はとうに破棄しているだろう。しかし、素朴なドイツ人は自分たちの計画を推し進めたいと思いながらも、状況を大局的に見、欧州の債務を引き受ける度量を見せることができない。ここに問題の本質があるのである。

ドイツがこの点に気づかない限り、ユーロ圏はギリシャ問題を何度でも繰り返すだろう。ユーロ圏の問題は終わることがない。投資家は政治家ではないので、ただその予測をもとに投資をするのみである。