引き続き、DoubleLine Capitalのジェフリー・ガンドラック氏の自社配信動画でのインタビューである。
今回は莫大な政府債務の解決方法について語っている部分を紹介したい。
政府債務のマネタイゼーション
ガンドラック氏は視聴者からの質問を読み上げて次のように言っている。
中央銀行が国債を全部買って帳消しにすればどうなるか?
これはコロナ後に緩和政策がインフレを引き起こす前までは真剣な話題だった。
特に日本はGDPの200%を超える政府債務があり、しかもその大部分を日銀が保有している。
日銀が国債をすべて買って帳消しにしてしまえばどうなるのか。日本の読者は是非とも知りたいはずだ。
だが残念ながら、ガンドラック氏は日本人が最もがっかりする答えを返している。
彼は次のように答えている。
多分日本を見ていれば答えが分かるだろう。
債務問題を解決する方法
ガンドラック氏は実際にはもう少し真面目な答えも返している。彼は中央銀行による政府債務の帳消しについて次のようにも言っている。
それは可能だと思う。それは非伝統的な選択肢の1つだ。
マネタイゼーションは債務問題を解決する手段の少なくとも一部になるだろう。アメリカだけの話じゃない。他の国でも始まっている。
経済に詳しい読者であれば、このガンドラック氏の発言が「国債のマネタイゼーションで何の問題もなくすべてが解決する」という意味ではないことが分かるだろう。
国債をマネタイズすれば何が起こるのか。それは日本を見ていれば分かるという。日本で何が起き始めているか。通貨の下落と金利の上昇である。
実際、ドル円の動きを見てもドル円はドルの金利上昇分以上に上昇している。ドル円とアメリカの実質金利のチャートを比べると次のようになる。
ドル円はドルの金利上昇分以上に上昇している。円の金利も上昇しており、しかも為替介入もあったにもかかわらずである。
金利以上の円安の意味するところは、日本から資金が流出しているということである。円安を止めるためには日本も今以上に金利を上げなければならないが、金利を上げると経済が死ぬだろう。
債務問題を解決する他の方法
それが日本流の解決方法である。日本は今のところ通貨安と金利上昇(つまり国債価格の下落)を選んでいる。
だが方法は他にもある。ガンドラック氏は次のように語っている。
現在の債務問題に対処する1つの方法はインフレを引き起こすことだ。
だから世界中でインフレ政策が横行している。
インフレによって莫大な政府債務を打ち消すのは、ドイツが第1次世界大戦後に使った手段である。仮に1200兆円の政府債務があろうとも、1200兆円でトマト1個分になるようなインフレを起こしてしまえば、トマト1個ですべての借金が返せる。国民の貯金はすべて紙切れになるが。
それは極端な話だが、だがインフレで政府債務を半分にするだけでも大きな助けになるだろう。例えば年率7%のインフレを10年続ければ、物価はほぼ2倍になるので、政府債務は実質的にほぼ半分になる。
それは当然、国民の貯金も実質的に半分になることを意味する。だがそもそも政府がインフレ政策などということを言い出した理由はインフレで(国民の貯金を犠牲にして)債務を帳消しにすることである。
2%のインフレ目標というのは毎年国民の預金の2%をいけにえに政府債務を2%減らす政策のことである。
そしてそれを日本国民の大多数は支持した。彼らはその意味が分かっているのだろうか。
結論
ということで、政府債務には様々な解決策がある。通貨の下落、金利の上昇、そして物価の高騰である。
だから政府債務の問題は最終的には「解決」されるだろう。Bridgewaterのレイ・ダリオ氏などは、解決策は他にもまだまだあると主張している。例えば中央銀行を破綻させる作戦である。
中央銀行の破綻はもはや問題ではない。それは解決策の1つなのだ。
これは冗談ではない。政府債務を「解決」するとはそういう意味なのである。ゼロ金利だった頃には無害のように見えた莫大な政府債務が、金利が上がることによって日本でもアメリカでも政府が莫大な利払い費用を負う結果となり、金利が5%まで上がっているアメリカでは年金の破綻がそれほど遠くない将来の現実となって迫ってきている。
だがインフレ論者の言うことを信じようではないか。日本の借金は政府の借金であり、国民には資産があるから大丈夫らしい。彼らの言う通り、政府の借金は国民の資産で相殺されることで解決するかもしれない。
増税、インフレ、通貨安、あらゆる選択が目白押しである。実際、レイ・ダリオ氏が『世界秩序の変化に対処するための原則』で研究した通り、歴史上の大国は政府債務をそういう風に解決してきたのである。
ガンドラック氏は次のように述べている。
あらゆる奇天烈な選択肢があるが、今のままを続けることは出来ないことだけは確かだ。
世界秩序の変化に対処するための原則