かつてジョージ・ソロス氏のクォンタム・ファンドを運用し、1992年のポンド危機におけるポンド空売りで有名なスタンレー・ドラッケンミラー氏が、How Leaders Leadのインタビューでクォンタム・ファンドに採用された時のことを語っている。
ソロス氏との出会い
これまでの記事でドラッケンミラー氏は自分のファンドを立ち上げ、1970年代のインフレ相場の最終局面で大きな利益を上げたところまで語っていた。
その後ドラッケンミラー氏はジョージ・ソロス氏と知り合い、ソロス氏のクォンタム・ファンドの運用を長年任されることになる。
ドラッケンミラー氏はソロス氏とどのように出会ったのかと司会者に聞かれ、次のように答えている。
彼の本を読んだんだ。誰もこの本を理解していないようだが、この本の中に為替相場に関する章があり、わたしはそれに夢中になった。
彼の本というのは、ジョージ・ソロス氏が自分の投資理論を詳細に説明している著書『ソロスの錬金術』のことである。
この本が誰にも理解されていないというのは同感である。ヘッジファンドという概念を作ったとも言えるソロス氏が、自分の投資理論を惜しみなく本にし、しかもプラザ合意前後の自分の投資日記をポジションまで開示して公開しているのに、この本を真面目に読んでいる金融関係者をほとんど見たことがない。
だがこの本は宝の山である。誰も読んでいないのはドラッケンミラー氏が言うように誰もこの本の重要性を理解していないからだが、ソロス氏の為替理論については別に記事を書くとして、ドラッケンミラー氏の話の続きを聞こう。
クォンタム・ファンドに採用される
ともかくドラッケンミラー氏は『ソロスの錬金術』を読んで感動し、ソロス氏に連絡を取ったらしい。
彼は次のように説明している。
それは1987年8月だった。ブラックマンデーの6週間ほど前だ。
わたしはソロス氏に電話した。あなたの本を読んだと伝えた。一緒に昼食を取ることになり、その昼食の時に彼はわたしに職をオファーした。
即断即決ではないか。だがドラッケンミラー氏は次のように続けている。
ちなみに彼は誰にでも職をオファーし、受けた人をすぐにクビにする人だということを後から知った。
ソロス氏は当時、自分の後継者としてクォンタム・ファンドを運用してくれる人を探していた。誰にでも職をオファーするというのは誇張だろうが、ソロス氏が採用した人をすぐにクビにするというのは業界でも有名な話だったようだ。
ドラッケンミラー氏はこう続けている。
わたしには4、5人のビジネスの師匠がいたが、その全員がソロス氏は頭がおかしいから絶対に仕事を受けるなと言った。だが妻は仕事を受けるように奨めた。
ドラッケンミラー氏は結局クォンタム・ファンドの運用を引き受けることになる。仮にソロス氏に1年でクビにされたとしても、彼は自分のファンドを運用する選択肢があったからである。
ソロス氏の「後継者」
ソロス氏が採用した人をよくクビにすることについて、ドラッケンミラー氏は象徴的なエピソードを次のように語っている。
仕事を受けた後、サウサンプトンにある彼の家に昼食を食べに行った。
そこにはソロス氏の息子が居た。そして息子はわたしにこう言った。「おめでとう、あなたは父が6年前に引退してから9番目の後継者だ」
ほとんどの人が1年もたなかったということである。
ドラッケンミラー氏はこう続けている。
ソロス氏のところで仕事を得るのは難しくない。だが彼のところで仕事を続けるのは難しい。良いパフォーマンスを出せなければ、ためらうことなくクビにされる。
わたしの前にいた後継者の話をいくつか聞いたことがあるが、一番傑作なのはこれだ。
その人はまあまあの仕事をしていたが、ソロス氏の水準には達していなかった。
それで彼は素晴らしい成功を収めた新しい人物を連れてきて、その人に電話してこう言った。「もっと良いやつが見つかったからあなたはもう不要だ」
極めつけは、ドラッケンミラー氏がこう続けていることである。
ソロス氏の従業員の扱いは、彼が株式を扱うやり方にちょっと似ている。
損切りが早く、より良い銘柄を見つけたら乗り換えることを躊躇わないということだろうか。
クォンタム・ファンドにおけるドラッケンミラー氏
さて、こういう経緯でクォンタム・ファンドを運用することになったドラッケンミラー氏だが、ドラッケンミラー氏はソロス氏のファンドの歴史のなかで例外的に長くファンドに居た人物である。
ドラッケンミラー氏はソロス氏の下で働いたことについてこう語っている。
彼はわたしには優しかった。クォンタム・ファンドでは損失を抱えた時期もあったが、上手く行っていない時にはソロス氏はわたしを支えてくれた。
だからわたしにとって彼は素晴らしかった。クォンタム・ファンドでわたしは本当に良い12年を過ごしたと思う。
クォンタム・ファンドにおけるドラッケンミラー氏の一番有名な功績は、1992年のポンド危機におけるポンドの空売りである。このトレードはよくソロス氏の代名詞として語られるが、実際にはクォンタム・ファンド時代のドラッケンミラー氏のトレードである。
さて、今回のインタビューではソロス氏についてポジティブなことしか語っていないが、別のインタビューではソロス氏のもとで働くことがそれほど簡単なことでもなかったということについても語っているので、そちらも参考にしてもらいたい。
ソロス氏の下で働くのはなかなか難しいことのようだ。ちなみに現在のソロス氏の「後継者」はドーン・フィッツパトリック氏である。もう何人目かは分からない。
だが彼女は優れたファンドマネージャーであり、外から見る限りではソロス氏とも上手くやっているようである。ソロス氏も丸くなったのだろうか。
ソロスの錬金術