ジョージ・ソロス氏は恐らく世界でもっとも有名なヘッジファンドマネージャーである。年率30%を超えるパフォーマンスを何年も出し続けたこともあるが、グローバルマクロ投資の先駆者として、国際経済の流れに乗じて世界中の市場で買いと空売り、オプション売買を同時に行うという、現在のヘッジファンドの基本戦略となっている賭け方を恐らく世界で初めて行った人物だからである。
彼はヘッジファンド業界でも非常に尊敬された存在であり、彼のもとで働きたいと思う若者は多いだろう。しかしながら、一方で優秀な人物の下で働くというのは容易なことではない。意識的にであれ無意識的にであれ、優秀な人材は自分とともに働く人材にも自分と同じぐらい優秀であることを要求するからである。
“ソロスの後継者”スタンリー・ドラッケンミラー氏
その厳しさを誰よりも経験した人物が居る。1988年から2000年までソロス氏の後継者候補としてクォンタム・ファンドを運用したスタンリー・ドラッケンミラー氏である。単に彼の下で働くだけでも要求されるものは多いだろうに、後継者候補として雇われたのであれば尚更である。
例に漏れず、ソロス氏は非常に厳しい要求をする人間であった。ドラッケンミラー氏の前に何人もの後継者候補がクビになっていた。シュワッガー氏による書籍『新マーケットの魔術師』に含まれるインタビューのなかで、ドラッケンミラー氏はこう語っている。
ジョージは良い給料を出すが、すぐクビにする、という評判でした。ソロスが私を誘った話をするたびに、断固として行ってはいけない、と業界の先輩たちに言われていました。
ソロスは、実際に私が彼の会社に入る前から、私のことを自分の後継者と呼ぶようになっていました。彼の家に面接に行ったとき、私がソロスの10番目の「後継者」だということを彼の息子から知らされました。他の後継者たちは、長く持たなかったのです。彼は、それを面白いと思っていたようです。その翌日、私がソロスのオフィスに行くと、スタッフ全員に「ソロスの後継者」と呼ばれました。彼らもまた、それをコミカルに思っていたようでした。
しかしそれでもドラッケンミラー氏はソロス氏のもとで働くことを決意した。当時まだ30代半ばでファンドマネージャーとしては駆け出しであった彼には、世界でもっとも優れた投資家から直接学べる環境は願ってもないものだったのだろう。
半ば予想通り、ソロス氏のもとで働くということは容易なことではなかった。ドラッケンミラー氏は働き始めた頃のことについて以下のように語っている。
最初の六ヶ月間、われわれの関係は不安定でした。二人は似通ったトレーディング哲学を持っていましたが、戦略が一致することはありませんでした。私にとって、ソロスはコーチになる予定でした。そして、彼はとても積極的なコーチとなりました。
私は、ジョージ・ソロスは最も偉大な投資家だ、と思っています。しかし、世界で最も偉大な投資家にコーチされていたとしても、トレードのリズムを崩されるほどにコーチされると、それは助けになるというよりは、むしろ邪魔なものになります。船に船頭は二人もいらないのと同様に、それはうまくいかないのです。落ち度は、私にもありました。彼の投資推奨に、私は威圧されてしまったからです。結局、彼ほどの経歴を持った男に、だれも逆らうことなんてできないのです。
結局のところ、ソロス氏は自分の雇った優秀なファンドマネージャーのことを信用しきれなかったのだろう。ドラッケンミラー氏ほど優秀な人材であったとしても、それは彼がソロス氏自身ほど優秀であることを必ずしも意味するものではない。
根っからの相場師であるソロス氏にとって、自分の資金が自分の予想とは違う方向に賭けられている状況が耐えられなかったのだと思う。そして決壊の時が来る。ドラッケンミラー氏は次のように続ける。
事件は、1989年の8月初めに起きました。私の債券のポジションを、ソロスが決済してしまったのです。それ以前に、彼がそんなことをしたことはありませんでした。さらに悪いことに、私はその取引に本当に強い確信を持っていたのです。言うまでもなく、このことで私は非常に気分を害しました。そのとき、われわれは初めて本音で話し合いました。
その結果、向こう6ヶ月、ソロスは基本的に私に関与しない、ということで決着しました。率直に言って、私はこの決着について安心してはいませんでした。今までずっと、彼は関与しないでいようと思いながらできなかったことを私は知っていたからです。
ドラッケンミラー氏はそのポジションが結局正しかったのかどうかについては触れていない。そして恐らくそこは問題の本質ではないのだろうと思う。ソロス氏は自分の優秀さ故にドラッケンミラー氏ほど優秀な人材でも信じきれないのである。ドラッケンミラー氏の優れたパフォーマンスについては、業界では疑う者はない。1992年のポンド危機の時にポンドを大量に空売りしてイングランド銀行を打ち負かしたのは、まさしくドラッケンミラー氏が運用していた頃のソロス氏のクォンタム・ファンドだからである。
しかし1988年から2000年まで12年も務めたドラッケンミラー氏は長続きした方ではないかと思う。ソロス氏も自分の後継者候補を次々に解雇するような状況から徐々に学んだのだろう。
ソロス氏はその後さらに仕事を人に任せるということを学び、最近までは政治活動に本腰を入れて、トレーディングルームにはほとんど姿を表していなかったようだが、2016年の半ばになってトレーディングルームに舞い戻り、大型案件をいくつか自分で指揮したと伝えられたのは報じた通りである。
なかなか仕事を他人に任せられないソロス氏の癖が出たのか? あるいは正真正銘ソロス氏しか対応出来ないような事態が金融市場で起こりつつあるのだろうか? 恐らくはその両方だろう。幸か不幸か、ソロス氏のもとで働けないとしても、彼から学べることは多くある。今後もソロス氏を含む優れた投資家の動向をフォローしてゆきたい。
新マーケットの魔術師