引き続き、世界最大のヘッジファンドBridgewater創業者のレイ・ダリオ氏のMoney Maze Podcastによるインタビューである。
前回の記事では、ダリオ氏の子供時代から就職、上司を殴ってBridgewaterを創業するまでの話を掲載した。
今回の記事ではBridgewater創業直後の初期の話を取り上げる。
Bridgewaterの最初のビジネス
前回の記事の話ではダリオ氏は元々勤めていた証券会社で上司を殴って会社を辞めることになったわけだが、ダリオ氏の話を聞くためにお金を払うと言ってくれる顧客がいたお陰で、ダリオ氏は自分の会社を設立することになった。
これが今や世界最大のヘッジファンドとなっているBridgewaterの始まりなのだが、Bridgewaterは実は最初はヘッジファンドではなかった。
ダリオ氏は自分の話にお金を払うと言ってくれた顧客向けにリサーチをしていた。ダリオ氏はBridgewaterの最初のビジネスについてこう語っている。
元々わたしはリサーチレポートを売っていた。コンサルもやった。コモディティに投資している人向けで、為替リスクなども含めてどのようにヘッジすべきかを教えるものだった。
「ヘッジファンドを創業する」と言うと、誰もが想像するようなヘッジファンドのビジネスが最初から存在していたかのように考えがちだが、実際にはそうではない。ダリオ氏は自分の相場観にお金を払うという人がいたから、その人々向けにレポートを売っていた。
実際のビジネスとはそういう自然な流れの上に成り立っている。確かスタンレー・ドラッケンミラー氏も同じように、自分の話にお金を払うと言ってくれた顧客とのビジネスが最初だったはずだ。
それが金融業界における独立のやり方であり、最終的にはヘッジファンドを創業する方法に繋がる。前の記事でも言及したが、クレディ・スイスから独立したゾルタン・ポジャール氏はまさにこの段階にいると言える。
ヘッジファンドBridgewaterの誕生
しかしBridgewaterはもちろんそのままずっとリサーチ会社であり続けたわけではなかった。リサーチ会社として知られた存在になると、お金を運用してほしいと言ってくる顧客が現れる。
ダリオ氏の場合、最初の顧客はかなり大物だったらしい。彼は次のように説明している。
1985年に世界銀行から500万ドルを預かった。当時のわたしにとっては大金だった。
世界銀行がわたしの売っていたレポートを手に入れて、債券を運用してくれないかと頼んできた。世界銀行が用意した債券用の口座がわたしの最初の債券口座だった。500万ドルが入っていた。
最初の顧客は世界銀行だった。キャリアの初めではコモディティを専門としていたダリオ氏だが、この頃には債券も扱えるようになっていたということだろう。
ダリオ氏はこう纏めている。
これが資産運用ビジネスの始まりだった。
そして今や、Bridgewaterはおよそ1,000億ドルを運用する世界最大のヘッジファンドとなっている。
結論
ということで、ヘッジファンドを創業するために特殊なやり方は必要ない。ただ、優れた相場観で業界に知られるようになれば、レポートを買いたいと言ってくる人が現れ、次にはお金を運用してほしいと言ってくる人が現れる。
ただ優れた相場観があれば良いのである。結局それは、近道がないということでもある。