アメリカではインフレが減速し始めており、インフレ減速とともに失業率上昇などの景気減速が懸念されている。
そこで今回は、20世紀最大のマクロ経済学者、フリードリヒ・フォン・ハイエク氏の『貨幣論集』に収録されている論文から、インフレ減速後の失業増加について語っている部分を紹介したい。
インフレ抑制のための金融引き締め
2021年には既に始まっていたインフレの脅威は、多くの著名投資家らが警告していたにもかかわらず、Fed(連邦準備制度)のパウエル氏など中央銀行家には無視されていた。
そして物価高騰は手遅れとなった。パウエル氏が過ちに気付いた時点でアメリカのインフレ率は既に7%近くまで上がっていた。
インフレとは供給に対して需要が多過ぎることであり、つまりは需要に対してものが不足している状況だが、ものの供給を急に増やすことは出来ない。
だからFedはそこからこれまでの低金利政策を撤回し、金融引き締めを行なってこれまでばら撒かれた紙幣を回収することでインフレを抑えようとしている。
インフレ減速と雇用
ここで問題になるのが、雇用である。これまで緩和政策は雇用を支えてきた。お金がばら撒かれているからこそ、企業は従業員を従来よりも多く雇い、その結果コロナ後に高騰していたアメリカの失業率はかなり急速に押し下げられた。
コロナ後のGDPの急回復もそうだが、この勾配がかなり急であることに着目してもらいたい。それは未曾有の財政支出によって実現された。このような政策に副作用はないのか。ないわけがないのである。
現代最高のマクロ経済学者であるラリー・サマーズ氏は、サービス業における物価高騰を抑えるためには賃金の減速が必要であり、失業率上昇は不可避であると言っている。
それは正しい。事実、1970年代の物価高騰を止めるためには、大量の失業が発生しても金融引き締めを続けるしかなかった。
しかしサマーズ氏の言い方では、物価高騰を止めるために故意に失業率を上昇させなければならないと言っているように聞こえる。
だがハイエク氏の論理はそうではない。彼は次のように述べている。
失業はインフレが加速をやめたときに、過去の誤った政策の帰結として、非常に残念だが不可避の結果として出現せざるをえない。
ここで彼が「過去の誤った政策の帰結として」と言っていることが重要である。つまり、インフレ減速後(今の話では2023年以降)に起こる大量の失業は、引き締め政策が引き起こすものではなく、過去のインフレ政策が原因だとハイエク氏は指摘している。
何故そう言えるのか。彼は著書では当時の例を挙げており、それについては以下の記事で取り上げている。
だが今回は彼の考えに従って現在のインフレの事例で考えてみたい。
2023年に起きる失業の本質
コロナ後には世界中で現金給付などの形で大量の紙幣がばら撒かれた。その結果として上記のように多くの人が雇用され、失業率は急速に低下した。
紙幣のばら撒きは同時に人工的な需要の急増をもたらしたので、需要が供給を大幅に上回り、インフレが起きた。
ここでハイエク氏が指摘しているのは、まず政府によって人工的に引き起こされた雇用とインフレは分離できないコインの表裏であり、片方だけを除去することはできないということである。
例えば日本でいまだに行われているインフレ政策で考えてみよう。全国旅行支援は旅行をする人に旅行代金の40%の補助金を出す政策だが、この政策によってホテルなどの需要が急増、インフレが起こっている。
この政策はただのジョークに過ぎないが、この例はインフレとは何かを説明する際に便利なのでよく使っている。この時にホテル側に何が起こっているかを考えてもらいたい。
通常、多くのビジネスは需要の急増にすぐに対応できるようには出来ていない。特に問題になるのは雇用である。従業員は簡単に増やしたり減らしたりすることができないからである。特に日本の法律では、一度雇った従業員は簡単に解雇することができない。
ホテル側は2つの選択肢を強いられる。1つは既存の従業員に無理をさせて需要の急増に対応することである。結果として経営者と従業員の関係は悪くなり、実際に全国旅行支援で激務になったために従業員が辞めた宿泊施設についての報道がなされている。
もう1つの選択肢は需要の急増に新たな従業員を雇うことで対応することだが、問題は需要増が終わったからといって従業員を辞めさせることができないことである。そしてその次には逆に供給過剰によるデフレが起こる。無理に増やされた分の従業員は、通常の需要量に戻った後には、本来不要な労働力だからである。
どちらにしても酷い結果である。そしてこの酷い結果は、ホテル業界に贔屓をした分、経済の別の部分で増税が行われるという生贄を捧げることで実現されている。
インフレ政策が害悪である理由
人工的なインフレは将来のデフレという犠牲によって実現され、ホテル業界の売上増加は別の業界からの(場合によっては別の世代からの)搾取によって実現される。
だがトータルで差し引きゼロかと言えば、そうではない。ハイエク氏は次のように述べている。
すべての世代の経済学者は、政府は短期的には貨幣数量を迅速に増加させることによって、とくに失業のようなあらゆる経済的悪から人びとを救済する力を持っていると教え続けてきた。
残念ながらこれは短期において妥当するにすぎない。短期的には有利な効果をもつように見えるそのような貨幣数量の拡大は、長期的にはさらに大きな失業の原因となる。
何故か。まずホテルの例における経営者と従業員の関係悪化が害悪でしかないことに異論はないだろう。経営者は通常、従業員が無理をすることのないように事前に計画しているものだが、いきなり決まった全国旅行支援ですべて台無しである。
一方で人工的な需要増のために新たに従業員を雇った場合、その従業員は全国旅行支援がなければ別の仕事についていたはずである。その人は全国旅行支援のためにホテルの従業員としての経験を強いられたわけだが、その経験が活かせる需要は、全国旅行支援による需要が引いた後の世界には残されていない。
一方で全国旅行支援がなければ、もともと自然に存在する需要に従事する労働者として別の業界で経験を積み、その経験は将来にわたって活かされることになるだろう。それがばら撒きで失われた本当の価値である。
より酷い例は全国旅行支援のために税金で行われているコロナ無料検査で、東京都の資料によればPCR検査1件あたり最大9,500円、抗原検査の場合4,000円の補助金が出されるとあり、本来何の需要もない事業が経済的に成り立つ構図になってしまっている。しかし本来需要のない事業に従事する経験を積んでしまった従業員の将来はどうなるのか。
このようにして人工的な雇用の増加は、インフレが終了する時、増加させた分以上の失業を吐き出すことになる。公共事業がなければ本来存在しないような仕事の経験が大量に生産されるからである。
政治家がこうした状況に疑問を感じない理由の1つは、彼ら自身が自然の需要では本来必要とされない仕事に就いているからである。
もう1つの理由については、ハイエク氏の言葉を引用しよう。
しかし、短期において支持を獲得することができれば、長期的な効果について気にかける政治家が果たしているだろうか。
結論
人為的に引き起こされたインフレは、例えそれが僅かであろうともすべて害悪である。
しかし何度も言っていることだが、人々が豊かになるためには紙幣をばらまくのではなく生産を増やさなければならない。レイ・ダリオ氏の言葉を何度でも引用しよう。
われわれが消費をできるかどうかはわれわれが生産できるかどうかに掛かっているのであり、政府から送られてくる紙幣の量に掛かっているではない。
紙幣は食べられない。
しかしリフレ派の馬鹿たちにはこの理屈は難しすぎる。
厄介なのは、大量失業というインフレ政策の真の弊害はインフレが起こっている限りは起こらないということである。
ハイエク氏は次のように述べている。
将来の失業について責められる政治家は、インフレーションを誘導した人びとではなくそれを止めようとしている人びとである。
1970年代の例で言えば、インフレ減速後に発生した大量失業の責任を取らされたのは、1971年に紙幣印刷をしたニクソン大統領ではなく、1980年にインフレを退治し大量失業を表面化させざるを得なかったボルカー氏だった。
アメリカでは今ちょうどインフレ減速からの失業増加が始まろうとしている。インフレは失業が始まってからが本番である。これから大量失業と大恐慌(そうでなければインフレ第2波)がアメリカ経済を待っている。
そして日本でも日銀の黒田氏が、長年の緩和の弊害がちょうど出始めたタイミングで職を離れるらしい。彼は内心ほっとしているだろう。彼の作り出した害悪のために非難されるのは、彼ではないからである。
政府というあまりに酷い仕組みを廃止すべきである。そうでなければ日本国民はいずれ大損することになる。
貨幣論集