元米国財務長官ラリー・サマーズ氏が長期停滞論とは何かを語る

長期停滞論とは、労働市場の改善のみを見て経済は安泰であるとする世界の中央銀行に対し、世界経済はより深刻な需要不足を抱えていると指摘する経済学者ラリー・サマーズ氏の仮説である。

労働市場のみを重視する従来の手法はバーナンキ氏やイエレン氏など中央銀行側に多く見られる一方で、サマーズ氏の悲観的な見方には有力なヘッジファンド・マネージャーらが同調しており、彼らはその仮説に基づいて悲観シナリオに自らの資金を賭けている。経済学の学説を巡る中央銀行とヘッジファンドの高尚な戦いが、現在の金融市場では繰り広げられているわけである。

これについてはずっと書かなければならないと思っていたが、丁度Equitable Growthのインタビュー(原文英語)でサマーズ氏自身が長期停滞論について分かりやすく説明しているので、これを紹介しておこうと思う。長期停滞が昨今の世界同時株安に繋がった仕組みなども説明されている。以下、注釈など途中で入れずに主な部分をそのまま訳して掲載する。

長期停滞論とは何か?

わたしの定義では、長期停滞とは、ある国の経済または世界経済において、投資よりも貯蓄が好まれ、慢性的な貯蓄過剰が見られる状況をいう。貯蓄過剰は実質金利を押し下げ、弱い需要は低い経済成長の原因となり、インフレ率はターゲットを下回ることとなる。

長期停滞の状況下では、経済成長率は相対的に低い位置で変動することとなり、高成長は長期的に持続できない傾向がある。長期停滞下における高成長は、持続不可能な借入や資産価格に基いているからである。

米国やヨーロッパや日本では、これから10年ほどインフレ率が1%を下回り、実質金利はゼロを下回ることが予想されている。これは10年以上の長期にわたっての話である。

産業の利益率は今後非常に望ましくないパフォーマンスに終わる、というのが市場の下した評価であり、市場の悲観は既に長く続いている。キーワードは需要不足である。需要不足は投資を抑制し、投資が減れば失業率は高まり、失業者が長らく失業状態に置かれると、労働能力のない恒久的な失業者となって経済内の労働力を削ぎ落とす。

低インフレあるいはデフレは同時に緩慢な経済成長を示している。それが長期にわたって続くときには、経済の需要側で何かがおかしくなっているのだと考えなければならない。

長期停滞論が正しければ財政政策はどうなるべきか?

財政政策に関して言えば、もっとも不合理な決まり文句は、民間が財布の紐を占めているのだから、政府もそうしなければならないというものだ。

オバマ大統領も、わたしが彼のもとでの財務長官の任期を終えた後だと思うが、そう言った。わたしは非常に残念に思った。ほとんどすべてのアメリカの大統領が一度はこれと似たようなことを言っていると思う。実際にはその逆で、政府は民間の傾向の逆を行かなければならない。民間貯蓄が民間投資を著しく上回っている場合には、政府はより借り入れ、より投資をしなければならない。

長期停滞こそは、米国政府が3%以下の金利で、しかも自分で刷ることの出来る通貨で、30年以上借金が出来る時期であり、素材が極めて安い時期であり、建設業の失業率が高止まりする時期なのだ。

例えばニューヨークの空港の状態を何とかするためにより適した時期がこれまであっただろうか? あの状態は酷すぎる。米国は経済全体に対する政府のインフラ投資の割合が最も低い国である。1947年以来ずっとそうなのだ。減価償却を考慮に入れれば、われわれはまったく投資をしていないに等しい。

だから公共事業を適切に拡大する余地はまだあるはずだ。社会主義から程遠いIMFさえ、経済が流動性の罠に陥っている現在の状況では、公共投資は経済成長を押し上げ、GDP比で見た負債額を増加させるよりはむしろ減少させる、ということを認識している。

貯蓄か投資か

米国の金利が非常に低い水準で推移し、これから何年かでゼロの壁に張り付く可能性もあるなかで提起される問題は、貯蓄を促進するのが良いのか、投資を促進するのが良いのかということである。

これまで長年の間は、貯蓄を促進するのが良いことであるとされてきた。しかし貯蓄に対するリターンが少なく、また需要不足が懸念される状況においては、需要を喚起することにより熱心になるべきだろう。

長期停滞が産む量的緩和バブル

長期停滞仮説は次のような可能性を提示する。現在の金融市場の混乱は、勿論部分的には不適切な規制の結果なのだが、より深い意味では、完全雇用を実現するために必要な信用流入額があまりに膨大であるために、それを経済に流入させると金融市場の不安定化は避けられないということである。

この見方によれば、長期停滞下の弱い需要と弱い経済成長に抗う努力は、危険な額の信用の流入や、資産バブルを産む金融政策のような望まれざる副作用を巻き込んで初めて成功するものであるということである。そうであれば、適切な規模の需要を維持するための手段として、金融政策よりも構造改革や財政政策に軸足が置かれるべきだろう。

非伝統的な金融政策についても更なる研究がなされるべきだ。長期停滞仮説によれば次のような懸念が考えられる。いくつかの国が経験していることだが、経済が回復の最終段階に達し、失業率が低下した場合においても、その後3年以内に景気後退に陥る可能性はかなり高く、1年以内であってもその可能性は低くない。伝統的には、景気後退時には中央銀行は金利を3%から5%ほど下げて対応するものだが、次に景気後退が来るときには、それほど大きな利下げの余地は残されてはいない。

ではどうするべきか? 答えの一つは財政政策であり、こうした緊急時には通常以上のことをやる必要が出てくるだろう。しかしもう一つの答えは、非伝統的な金融政策の可能性をよりクリエイティブに検討することである。量的緩和が既にローンの金利を非常に低いレベルまで押し下げたなか、どれだけの緩和が可能か? マイナス金利は最大で何処まで拡大することが経済的に可能なのか? 金融緩和がもたらす副作用は厳密にどのようなものなのか? これらはすべて、長期停滞仮説によって重要であると考えられる命題である。


翻訳はここまでである。重要な点は、長期停滞下の一時的な経済回復は、持続不可能な信用創出と資産価格バブルによって実現しているだけであり、その事実は、量的緩和が終われば経済成長はまた低いレベルに押し下げられてゆくということを示唆している。

したがって、そのような状況で達成された完全雇用を見てFed(連邦準備制度)が利上げを行えば、副作用で不安定となった金融市場は大荒れになるということである。

このような見方に同意しているファンドマネージャーには、世界最大のヘッジファンド、ブリッジウォーター創業者のレイ・ダリオ氏、債券王と呼ばれるビル・グロス氏などが挙げられる。また、ジョージ・ソロス氏も長期停滞論には直接言及していないが以下のような発言を残しており、恐らく似た考えを持っていると思われる。

人々の心理にはデフレ期待が蔓延しており、消費者は低金利に対し支出を増やすことで反応する可能性は低い

この一行に秘められた奥深い意味は、長期停滞論を前提として読めばより分かりやすいだろう。

長期停滞論に基づいた投資戦略の例として、わたしはこうした仮説に基づいて、米国の利上げ継続は困難と判断し、2015年12月に金投資を開始した。これは現在のところ成功していると言える。

また、今回のインタビューでは言及されていないが、世界的な低成長の原因として他に挙げられるのが、債務の長期サイクルと人口動態である。これらの要因についてもいずれ触れるつもりである。