世界経済フォーラム(通称ダボス会議)での発言のために、著名ヘッジファンドマネージャーのジョージ・ソロス氏が無用なトラブルに巻き込まれている。同業者として同情するばかりである。
ソロス氏は2016年1月に開かれたダボス会議でブルームバーグによるインタビューに答え、中国経済のバブルは既に崩壊しており、自分はアジアの通貨を空売りしていると発言した。詳細は以下の記事で取り上げている。
この発言に対して、中国政府は国営放送の新華社や中国共産党の機関紙などに怒涛の反論記事を載せており、それがWall Street JournalやFinantial Timesなどに取り上げられ、英語圏でもちょっとした話題になっている。
神経過敏な中国政府の反応
彼らによれば、「ソロスはアジアの通貨への大量の空売りをしていると主張することで中国に通貨戦争を宣戦布告した」「彼の影響力を考えれば、世界の金融市場は既存の混乱をより激化させ、アジアの通貨は投機家の攻撃によるプレッシャーに晒されることになる」「しかし人民元と香港ドルに対するソロスの挑戦は成功することはない」(原文中国語)そうである。ちなみにソロス氏はアジアの通貨とは言ったが、人民元とも香港ドルとも言っていない。
また、新華社の記事では「空売りをしている投機家たちは自分たちの宿題が果たせなかったので、意図的に混乱を作り上げて利益をかすめようとしている」(原文英語)そして「向こう見ずな投機と悪意ある空売りは大きな損失と厳格な法的処分に直面することになる」(原文英語)と警告した。
日本やアメリカの規制当局も、空売り規制が無意味だと気付いたのは最近の話であるので、いわゆる西側諸国が中国を一方的に笑える話でもないのだが、中国政府の過剰反応はそれにしても異常であり、このような他の国では有り得ない事態が中国で起こりうるのには理由がある。
過剰反応が示すもの
先ず第一に読み取れるのは、中国政府の人々は一介のファンドマネージャーが発言一つで為替市場を操作できると考えるナイーブな信仰の持ち主であるということである。
彼らは自国の通貨を守らなければならない立場にあるにもかかわらず、為替市場が一体どれだけ大きいのかということが分かっていない。為替市場とは不動産市場や株式市場の合計よりも更に大きい、世界最大の市場なのである。
ソロス氏の資金は300億ドル程度だそうだが、例えば中国自体の外貨準備だけでも3兆ドルあり、その中国政府も為替市場では市場参加者の一人に過ぎないのである。ソロス氏のファンドは世界でも最大規模のものだが、それでも為替市場においてはヘッジファンドの規模などは豆粒に等しいと言える。
何の権限もない一人の投資家がそのような市場を操縦することなど不可能である。相場自体に下落する原因がない限り、たった一人の市場参加者の発言が原因で、それほどに巨大な市場が一方向に動くことなど有り得ないことは馬鹿でなければ直ぐに分かることかと思う。「彼の影響力を考えれば」という文言自体が中国政府の市場への理解のあまりの欠如を示している。
中国政府の問題は何か
では何故中国政府には金融に関するまともな人材がいないのか? それは中国では優秀な人材はアメリカやヨーロッパの大学に留学し、そのまま海外の企業に就職してしまうからである。頭のいい中国人が海外に出ると自国がどれほど酷いものかを知ってしまうので、中国に帰らずそのまま現地に居着いてしまう。
わたしにも海外在住の中国人の友人たちがいるが、彼らは別に本国を毛嫌いしているわけではないものの、家族に会う以外の理由で中国に帰ることもあまりないようである。彼らにとっても海外の方が心地良いようであり、空気の汚染された中国に帰ることを躊躇している。
空気汚染だけでなく、居心地の悪い環境を大した意味もなく作った国家は優秀な国民に見捨てられる。中国から流出しているのは資金だけではなく人材もそうなのである。去年の中国株暴落に対する中国政府の杜撰な対応は、そうした人材不足が背景で起こったものである。
人民元は下落の道しかない
過剰反応のもう一つの原因は、中国政府が人民元の信任維持を死活問題と考えており、状況がかなり厳しいからだろう。中国には3兆ドルもの莫大な外貨準備があるが、ここ半年ほどでかなり急激に減少している。
また、中国政府はソロス氏が中国経済のハードランディングを指摘したことも非難しているが、捏造された政府発表のGDPと、シャドーバンキングに隠された中国経済の真の負債額も、中国政府にとっては隠しておきたい事実なのだろう。
個人的には人民元の下落は悪いことだとは考えていない。アメリカと日本とヨーロッパが歩んだ為替操作の道を、中国も進むだけの話である。そうすれば中国の輸出業は一時的にでも持ち直し、中国経済のバブル崩壊は少しでも先延ばしに出来るだろう。
しかしそれは世界経済には悪いニュースだろう。中国経済は少しの間延命されるが、弱い人民元を通じて中国のデフレは他国に輸出される。これこそはソロス氏が世界同時株安は中国が原因と述べた理由であり、中国バブルは崩壊していると主張したにもかかわらず、中国は数年生き延びられると予想した理由である。中国政府はそもそも彼のインタビューをまともに読んでいないし、また読み解く能力もない。
中国政府はこうした子供じみた対応を止めるべきである。ソロス氏は別に反中派ではないし、ヒステリックに対応しても市場の信認を失うだけである。中国に限った話ではないが、各国政府がもう少しまともであればと思う限りである。