サマーズ氏: 量的緩和を停止しなければアメリカの債務は崩壊する

マクロ経済学者で元アメリカ財務長官のラリー・サマーズ氏がBloombergのインタビューで量的緩和について大変面白い論考を展開している。

量的緩和と準備預金

これまで政府は膨らみ続ける債務を量的緩和で対処しようとしてきた。中央銀行に紙幣を印刷させ、印刷した紙幣で国債を買わせて借金をなかったことにしようという試みである。

素晴らしい世界ではないか。いくら借金しても何も悪いことが起きることはない。ならばいくらでも借金を増やせば良いのではないか? 誰も働かなくて良い世界が出来上がるはずである。

実際には、そんな訳がないという当たり前のことを人々は長い量的緩和によるバブルの果てに知ることになるのである。そして人々がそれに気付く頃にはもう手遅れになっている。量的緩和とはそういうものである。

今日のサマーズ氏の話はそういうものである。彼はそもそも量的緩和とは何かという話から始める。

Fed(連邦準備制度)は財務省の制作物であり、Fedは子会社のようなものとして財務省に所有されている。

Fedが量的緩和を行うとき、Fedは銀行が中央銀行内に保有する準備預金として紙幣を印刷するが、この準備預金には短期の変動金利を支払う必要がある。

そうして作り上げた資金でFedは長期国債を買うわけだが、Fedは財務省の一部なので、結果として政府は長期の固定金利の債務の代わりに短期の変動金利の債務を負っていることになる。

この議論が分かるだろうか。量的緩和とは紙幣を印刷して国債を買い入れることである。中央銀行が国債の保有者となるが、中央銀行は政府の一部なので、それらの国債の金利は政府は実質的には払わなくても良いものということになる。

しかし大量に買い上げた国債の代わりに大量の準備預金が出来上がることになる。紙幣印刷とは実際には中央銀行が銀行の持つ口座に資金を放り込むことだからである。

そしてそれこそがマネタリーベースの増加である。マネタリーベースとは準備預金と紙幣と硬貨の和である。アメリカのマネタリーベースは以下のように増加している。

政府が国債に金利を払わなくて良くなった代わりに、中央銀行はこの大量の準備預金に短期金利を支払う必要性が出てくる。

しかしそれはこれまで問題にならなかった。アメリカの政策金利はゼロ近辺で固定されているからである。

インフレがマネタイゼーションを不可能にする

だが物価高騰が止まらなくなり、それを抑えるために利上げを行わなければならなくなればどうだろうか?

これまで政府にとってほとんど無料の債務だった準備預金に対して金利の支払い義務が発生する。これまで量的緩和に意味があったのは、長期国債から準備預金に変換していれば利払いを免除されていたからである。

しかし準備預金に対しても金利を払わなければならなくなれば、量的緩和をしても利払いは消えないということになってしまう。

しかも状況はそれだけではない。長期国債の金利は一度発行してしまえば債務期限まで変わることがない。しかし準備預金への金利は金融政策次第で目まぐるしく変わってしまう。

トランプ元大統領が30年を超える超長期国債の発行を検討していたのを覚えているだろうか。未曾有の低金利で国債が発行できる間に何十年分もの資金を低金利で借りてしまおうという試みである。

しかし皮肉にも、国債が準備預金に化けてしまったお陰で実際には政府の債務は金融政策次第で変動する利払いを抱えてしまった。インフレが例えば3%か4%に加速し、これを止めるために政策金利を5%にしなければならなくなればどうなるだろう?

現在、マネタリーベースは政府債務の20%程度に達しているが、この割合は増え続けるだろう。そして準備預金が増えれば増えるほど、5%の利払いをしなければならない債務の割合が増えてくる。インフレがすべてをひっくり返し、量的緩和が政府の首を締め始めるのである。これを踏まえてサマーズ氏は次のように述べる。

これはわたしが金融を不安定化することなく、慎重に、出来るだけ早く量的緩和を停止すべきと考える理由の内の1つだ。

結論

ここまで考えれば、デフレというものがどれだけ有難かったかということがリフレ派という名前の似非経済学者たちにも分かるのではないか。量的緩和には副作用がない。しかしそれは、「デフレになっている限り」という重要な註釈を付けなければならない。

量的緩和の限界はこうやって訪れる。その名前はインフレである。しかしそれは超長期的なトレンドであるために気付きにくく、しかも気付いた頃には手遅れになっている、そういう種類のものなのである。

勿論、事前に警鐘を鳴らしていた人々は一定数居た。フリードリヒ・フォン・ハイエク氏のような本物の経済学者は数十年前から現在の状況を予想し、警告している。

しかし誰も耳を貸さなかった。まともな主張は主流派たりえない。だから賢明な人々は、スコット・マイナード氏の言葉を借りれば、コンセンサスに反して進まなければならないのである。