米国株がやや荒れている。この株安については著名投資家のガントラック氏が事前に予想していたが、しかし株価はガントラック氏の予想したものとは異なる理由で下落しているということを前回の記事で説明したばかりである。
ガントラック氏によれば、世界的な経済成長への期待から長期金利が上昇し、金利上昇が株式市場にとって重荷になるということであった。しかし実際には、金利はむしろ低下したにもかかわらず、株式市場は下落を開始した。
では、米国株を下落させた本当の原因は何だったのか? 丁度良いタイミングで世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運営するレイ・ダリオ氏が、このテーマについてLinkedIn内のブログ(原文英語)で語っているので、これを紹介したい。
ダリオ氏が語る米国株下落の原因
米国株の下落の理由は金利上昇ではなかった。それは長期金利のチャートを見れば明らかだろう。
金利はむしろ低位に留まっている。
では何が原因なのか? ダリオ氏が指摘する本当の原因は政治リスクなのだが、彼は単にトランプ政権内の混乱というよりも広い視野でこの問題を見ているようである。
昨年の大統領選挙の様子をここでリアルタイムで追いかけていた読者にはある程度分かってもらえると思うが、アメリカ国内の保守派とリベラルの対立はかなり激化している。トランプ氏を支持するか、ヒラリー・クリントン氏を支持するかで、家族や友人と仲違いしたり、中には離婚に陥ったアメリカ人も居るようである。
ダリオ氏はアメリカ国内がこのように政治的に分断されている状況を、統計を持ち出して以下のように端的に説明している。
例えば、ドナルド・トランプの支持率35%というのは、共和党支持者の79%と民主党支持者の7%で成り立っている。トランプ大統領を支持する層のうち、61%は彼が何をしようとも支持し続けるだろうと言い、非支持者の57%は大統領について今後意見を変えるつもりはないと言っている。
言い換えれば、アメリカ人の大部分は政治と国の未来について強力かつ頑固に対立しているということである。
ダリオ氏の指摘で重要なのは、これはトランプ政権に限定された問題ではなく、どういう大統領かにかかわらず、アメリカの人口の大半はそもそも政治的に反対の方向に行きたいと思っており、この対立は誰が大統領になろうとも落ち着くことはなく、一方が満足すれば他方が不満足になるということである。
では、この対立は株式市場にどのような影響をもたらすか? ダリオ氏は以下のように語る。
現状、アメリカ経済自体には大したリスクは認識されていないが、日々高まってゆくこうした対立が、政権が法案を議会に通して成立させる能力を損なったり、その他の問題を引き起こしたりすることを心配している。
因みにダリオ氏は、トランプ相場の初期において、トランプ政権の経済政策が実現すると仮定すれば、米国株が上昇するのは「完全に論理的」であると主張していた。だからトランプ政権の政策が議会を通らないのは米国株にとって下落方向のリスクというわけである。
しかし、ダリオ氏の論点は、このアメリカ国内の分断はトランプ大統領の任期4年に限定されたものではなく、何らかの形で解決されない限り、今後ずっとアメリカ国内にくすぶり続ける問題だということである。
恐らく、ダリオ氏が見ているのはこの問題が米国株の短期的下落に留まらず、国際社会全体にとって大きな問題に波及する可能性だろう。彼は今年に入って何度も、今の状況と第二次世界大戦勃発前の国際社会とを比較している。
われわれは経済的、社会的に分断され、重荷を負っている状態であり、その状況は1937年に非常に近いもののように思える。
結論
米国株を下落させたのは、ガントラック氏の予想した金利上昇ではなく、ダリオ氏が以前より心配していた政治リスクの方であった。現状を以上のように分析して、ダリオ氏は自分の現在の投資方針をこう語る。
この状況をどれだけ上手く切り抜けられるかどうかは、従来重要とされていた金融及び財政政策よりも、経済と人々の生活に対して大きな影響を及ぼすと考えている。引き続き状況がどう対処されるかを注意深く見続けようと思う。現状では、上手く対処されていないので、短期的にリスクオフの姿勢を取っている。
短期的なリスクオフというのは、他の著名な投資家と同意するところだろう。
しかしより大きい問題は、この西洋社会の分断が結局はどのように進んでゆくのかということである。イギリスは移民歓迎のリベラルに背を向けてEUを離脱した。アメリカはトランプ大統領を選んだ。フランスは反移民のルペン氏を退け、親EUのマクロン大統領を選んだ。
この社会的分断が今後どうなるかである。世界最高のヘッジファンドマネージャーの一人、レイ・ダリオ氏が危惧する世界大戦というシナリオが実現しないことを祈りたいものである。しかし、投資家としてはその時の金融市場の動きの想定を、頭の片隅に置き始めなければならないのかもしれない。