書くべき記事が溜まっているのだが、時間の方が追いついていない。しかし一つ一つ上げてゆこうと思う。
レイ・ダリオ氏率いる世界最大のヘッジファンドBridgewaterは顧客向けの書簡のなかで、激しさを増してゆくトランプ大統領の政策について懸念を表明し、それらの政策が実現すれば世界経済にとってマイナスだと述べている。(Bloomberg、原文英語)
レイ・ダリオ氏のトランプ観
ここの読者には周知の通り、レイ・ダリオ氏はトランプ政権の政策について、親ビジネス的な政策が経済にとって大いにプラスになるとした上で、ポピュリスト的な政策が懸念であるとして、トランプ政権が「思慮深くなるか向こう見ずになるか」を見守っているとしていた。
しかし、トランプ大統領はメキシコの壁や中東からの入国禁止などを含め、選挙時の公約を漏れなく着実に履行しようとしており、トランプ氏の親ビジネス的な政策だけを期待していた多くの投資家からは懸念の声が上がりつつある。
大統領選挙後の相場の動きを正確に予想して利益を上げたダリオ氏もその一人であるようであり、Bridgewaterは書簡で以下のように述べている。
今やアメリカでは、通常市場の原動力となる中央銀行による金融政策などの要素よりもアメリカ国民の生活や価値観、そしてトランプ大統領のポピュリズム政策と親ビジネス的政策とのバランスといったものが経済や市場にとってより重要となっている。
トランプ政権は財政政策の改善や有益な構造改革(親ビジネス的な環境、不必要な規制の削減)などを大いに推進できる潜在力がある一方で、トランプ氏のポピュリスト政策が世界経済を悪化させる顕著なリスクが存在している。
そして次の部分ではトランプ大統領がメキシコや中国に対して実質的な関税を課そうとしていることについて以下のように懸念を表明している。
もし国境調整の仕組みが現在提案されている形で実現することになれば、それは世界的な恐慌と主要な株式市場の下落を引き起こすことになる。実際にそうなるかどうかはまだ不明だが、少なくとも米国のこうした貿易政策が世界経済の成長率に下方圧力を及ぼすことは間違いない。
ナショナリズム、保護貿易、軍国主義は世界の政治的緊張を悪化させ、紛争を生むリスクを増加させる。したがって、現状では何も決めつけることはしないが、Bridgewaterはトランプ政権の政策についてますます懸念するようになっている。
彼らの主張はほとんど正しいと言えるだろう。保護貿易が少なくとも全体の利益にならないということは経済学的に疑いようがない。しかもそれを自動車産業のような半分傾きかかった国内産業の延命のために行うのであれば、大きなリスクと引き換えにアメリカが得るものはあまりに少なくなる。
しかし状況をより正確に理解するためには、トランプ氏がメキシコや中国に要求していることを鵜呑みにするのではなく、こうした混乱が不動産王トランプ氏の交渉プロセスの一部であるということを理解しなければならない。
トランプ大統領の交渉術
ダリオ氏を含む純粋なヘッジファンドマネージャーには馴染みの薄いものではあるが、トランプ氏の交渉術は実業家のものとしては非常にオーソドックスなものである。交渉材料となる可能性のあるものはすべてテーブルの上に上げ、その上で最終的着地点を探ってゆくというものである。したがって、彼の要求そのものは着地点ではない。これはビジネスでは常識である。
そしてこれがビジネスの世界であれば、トランプ氏の戦略は完全に正しい。以前にも書いたが、保護主義のデメリットを明らかに認識している実業家トランプ氏が貿易においてこうした政策を標榜しているのは、保護貿易のデメリットは貿易赤字国よりも貿易黒字国にとっての方が大きいため、交渉の場にさえ持ち込んでしまえば、多くの国に貿易赤字を抱えるアメリカの方が有利な合意を勝ち取ることが出来ると彼は考えているのである。
政治におけるビジネス的交渉術
しかしトランプ氏が見落としていることが一つある。政治家は実業家ほど合理的に動くことは出来ないということである。政治家の立場は有権者の投票に支えられており、政治家には有権者の要求が不合理だと考えることがあったとしても、それに従わなければならない状況が存在する。
そもそもトランプ氏が保護貿易を標榜しなければならなかったのは、そうしなければヒラリー・クリントン氏に勝つことが出来なかったからである。グローバル企業からの莫大な政治献金を受け取っていたクリントン氏に、グローバル企業に味方するメディアの一方的な偏向報道という環境のもとで勝利するためには、それに打ち勝つ政治的な基盤が必要とされた。それが保護主義によってアメリカ国民の支持を集めることだったわけである。
したがって、ダリオ氏の主張をより正確に言い換えるならば、「トランプ氏の極端な主張が実現するリスクが高まりつつある」のではなく、「トランプ氏のビジネス的交渉術が政治の世界ではそのまま成功しないリスクが存在する」ということになる。
トランプ氏の保護貿易の将来
この新たな観点のもとに保護貿易の行方を占ってみると、ダリオ氏とは少し違った結論が得られる。それはつまり、メキシコやその他の国との交渉は成功し、アメリカは自分に有利な合意を引き出すことが出来るだろうが、しかし中国に対する交渉は政治的リスクを引き起こす可能性が高いというものである。
中国に対する交渉というのは、トランプ氏が台湾を中国の一部として扱わないことを示唆しているものである。わたしの知る限り、この論題に対する中国人の反応はかなりセンシティブなものであり、中国政府は自国の利益を犠牲にしてでもそうした決定に復讐する可能性がある。ビジネス上の交渉は双方が合理的な意思決定をするという前提のもとに成り立っており、片方がそこから外れた途端に破綻してしまうのである。
中国の台湾に対する姿勢(そしてチベットなどその他の地域に対する姿勢)が正しいかどうかということにここで言及するものではない。しかし中国政府は事実そういう態度に出るだろう。トランプ大統領の目的が中国に対する台湾の立場の擁護といった政治的なものではなく、単に保護貿易で良い合意を引き出したいというものであれば、その目論見は政治とビジネスの違いから目論見違いとなる可能性が高いだろう。
ちなみにそうした交渉の失敗の結果、一番不利益を被るのは恐らく台湾の人々である。小国は常に大国の我儘に影響されてしまう。しかし投資家にはどうすることも出来ないだろう。ソロス氏のように感情的になって失敗することなく、客観的立場に終始しているダリオ氏は投資家としては正しいのである。